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久留米の「日吉神社」どうしてこんなに多いの? 旧市内に13カ所 明治の合祀で多数誕生 福岡県

 福岡県久留米市で「日吉神社」といえば、節分の豆まきなどでにぎわう日吉町の日吉神社や、「十日恵美須(えびす)祭」が開かれる城南町の日吉神社がおなじみだ。だが、市の地図を見ていると、あちこちに「日吉神社」がある。どうして、こんなに多いのだろう。それぞれの地域で個性を醸し出している「日吉神社」を回ってみた。

 まず、足を運んだのは久留米市西町にある日吉神社。JR久大線の線路に近い、静かな住宅地の細い道をたどると、神社が現れた。本殿に近づくと、何やら鋭い視線を感じた。ふと見上げると、屋根の両端に2体の猿の像があり、境内全体ににらみを利かせている。この猿は何なのだろう?

 全国の日吉神社を統括する日吉大社(大津市)によると、日吉神社では猿が「神の使い」とされているとのこと。「真猿(まさる)」と呼ばれ、「『勝る』『優る』『魔去る』の意味も込められている」そうだ。

 国分町の日吉神社でもユニークな猿に出合った。日光東照宮(栃木県日光市)の彫刻で有名な「見ざる・聞かざる・言わざる」の3体の石像。すぐ近くにはこま犬の像があった。「犬猿の仲」はこの神社では関係ないみたいだ。

 次は「久留米宗社」と呼ばれ、市中心部の日吉町にある日吉神社に向かった。朝から参拝者でにぎわう境内で、ここでも猿の像を見つけた。

 それにしても、いったい日吉神社は市内にいくつあるのだろう。同神社の禰宜(ねぎ)である久富貴文さんに尋ねると、「『日吉』の名を持つ神社は旧久留米市内だけで13もあります」という。

 この神社は平安時代、豪族の松田氏が笹山(現在の久留米城跡)を開き、「山王宮」として祭ったのが起源。江戸時代に久留米藩主となった有馬家が、城下町の発展を願い、守り神として縁起の良い南東方向にあった現在地に移したという。江戸時代までは山王宮の名前だったが、明治時代に日吉神社になったという。

 何があったのか。明治時代に入り、神社の合祀(ごうし)が始まり、名前の統一が行われた。「宮」の名前が大きな神社にだけ使われるようになり、山王宮と同じ神様「大山咋命(くいのみこと)」を祭る日吉神社の名前があちこちで使われるようになったと、久富さんが教えてくれた。

 日吉大社によると、福岡は全国的にも日吉神社に関係する神社が多い土地という。かつては天台宗の守護神として祭られた「大山咋命」。天台宗を開いた最澄は中国に渡るためなど、福岡に滞在したことがある。「福岡で信仰が広まる要素は十分にあった」(同大社)という。

 最後に、小森野5丁目にある日吉神社へ。宝満川沿いにあり、また違った趣があった。長い時間を経て、それぞれの地域で愛される「日吉神社」たち。筑後地区を見れば、まだまだある。じっくり回ってみたいな。

この記事は2017年03月03日付で、内容は当時のものです。

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