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「誰もがやらぬから我々が」中村医師の言葉伝える 天神で追悼書画展

 戦乱と干ばつに苦しむアフガニスタンで用水路建設に取り組み、昨年12月に現地で凶弾に倒れた中村哲医師を追悼する書画展「墨檄(ぼくげき)展 緑の大地へ~中村哲医師へ捧(ささ)ぐ~」が24日、福岡市・天神の村岡屋ギャラリーで始まった。29日まで。中村さんが現地代表を務めた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)の事務局で約15年間支えた書道家の井上龍一郎さん(67)と、水墨画家の鵜島朴同(うしまぼくどう)さん(45)が作品を通して中村さんの言葉と活動を伝えている。

 縦2・2メートル、横5メートルの大作は2人の合作。鵜島さんが描く青々とした麦畑と、後ろにそびえ立つアフガンの山。そこに井上さんが、2003年に中村さんが現地職員に向けて宣言した言葉を麦畑に降らせるように書いている。「干からびた大地を緑に変え、本当に実のある支援を我々は目指す」。文字は次第に大きく、力強さを増し、「これは我々の武器なき戦である」と締めくくられている。

 「誰もが行かぬから我々がゆく 誰もがやらぬから我々がする」「困っている人を前に逃げ出せないでしょう。『できるのにやらなかった』では後悔が残ります」。作品は約80点。中村さんの書籍やペシャワール会の会報、新聞記事などから言葉を集めた。

 「今は一言一言がすごく腹にこたえます」。小学校教諭だった井上さんは、中村さんの講演を聞いたことをきっかけに早期退職。05年からペシャワール会のボランティアスタッフとして活動を支えた。現地も2度訪問した。眼前に広がっていた砂漠地帯が小麦畑に生まれ変わった姿に涙が出た。「あの光景は忘れない」

 今回の追悼展は鵜島さんからの声掛けで実現した。井上さんとは10年来の知り合いで、原発をテーマにした2人展を5年前から開いてきた。広島県三原市を拠点にする鵜島さんは中村さんと面識はないものの、書籍や会報を読んでいた。

 「中村さんは記憶されるべき人。自分たちのスタイルで追悼したいと思った」と鵜島さん。井上さんは「中村哲の言葉を共に考え、襟を正していきたい」。

 入場無料。午前11時~午後7時(最終日は午後4時まで)。 (小林稔子)

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