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イチロー引退会見で読み取れた、
番記者たちの“地獄”と信頼関係。

posted2019/03/26 08:00

 
イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

イチローは引退会見で1時間以上にわたり記者の質問に答えた。そのやり取りは画面越しからでも緊張感が伝わった。

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プチ鹿島

プチ鹿島Petit Kashima

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Naoya Sanuki

『イチローの取材 「地獄でした」 』 

 地獄という強烈な言葉。

 イチローが引退表明した翌日、デイリースポーツ5面の見出しである。 

 記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。

《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日)

 それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。

 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。

「僕に鍛えられたんだから……」

 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、

《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》

《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ……。ほめられたことなんてなかったと思う。》

 と振り返る。

 後に再会したイチローに「僕にあれだけ鍛えられたんだから、取材でコワイものなんてなくなったでしょ?」と言われ、「やはり確信犯だったかと苦笑するしかなかった」。

 イチローからすれば自分を取材する記者も当然プロフェッショナルであるべきと考えていたのだろう。イチローの番記者になったら高レベルを求められる。うかつな質問はできない。

 ああ、他人事ながら読んでて緊張してきた……。

【次ページ】 20歳の選手に課された“宿題”。

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