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「この世界はどうできているのか?」生命の循環を描き続けるアーティスト・大小島真木の想い

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第4回の放送に登場したのは、海の上で出会ったクジラから生命の繋がりへと想像を広げ、絵画やインスタレーションで生命の循環を表現するアーティスト、大小島真木さん。美しい色彩と細微な筆遣いで“生”を描き出すことで、この世界がどう出来ているのか?という大きなテーマを私たちに提示してくれる。その作品の深淵を覗いてみた。

◆科学探査船から見た、海に浮かぶクジラの死骸

―大小島さんの作品をはじめて観たとき、このクジラにものすごい迫力を感じました。どういうきっかけで作られたのでしょう?

2017年に、フランスのタラ号という科学探査船でレジデンスを行ったんですね。レジデンスというのは、滞在制作のことです。アーティストが探査船に科学者や研究者と一緒になって乗船し、珊瑚やプランクトンなどの海洋調査に同行させていただくという、貴重な経験をさせていただきました。

―海洋調査というと?

鯨の目 シリーズより | Eye of whale
Photo by Serge Koutchinsky

現在の海の状況についてはまだ調査の及んでいない部分も多くあるんですよね。私がタラ号に乗船していた時は、赤道直下を進みながら、主にどこの珊瑚が白化現象を起こしているのかについて、サンプリングをとりながら調査が行われていました。ただ、調査対象は珊瑚だけではなく、その周辺の生き物も同時に採取していましたね。

―どういったきっかけで乗船することになったんですか?

公募です。タラ号はファッションブランドの〈アニエスベー〉が出資している船で、アーティストのためにも乗船枠が1席設けられているんです。アーティストに求められているのは、科学者の方々と海の上で一緒に生活をすること。それこそ、調査に同行したり、調査の様子を間近で観察したりさせていただいて、そこで得たものをそれぞれの方法で作品にして発信していく。すごく珍しい船なんです。

―すごくおもしろい試みですね。 そういう船に乗船しようと思った大小島さんのアンテナもすごいなと思います。

よく体当たりタイプだねって言われます(笑)。ただ自分自身、世界に対して敏感でありたいとは思っていて、その方が新しい発見をいっぱい得られると思うんですよ。科学者にとっては当たり前のような知識であっても、私にとっては当たり前ではないことって実はいっぱいありますから。

―実際、どんなことに興味を惹かれましたか?

海洋プランクトンの存在ですね。普段、彼らのことを意識することってそうはありませんけど、実は地球上の酸素の約半分は彼らの光合成によって供給されているということを船上で聞いたんです。光合成って森で行われているイメージが強いですよね。私もそういうイメージをもっていました。だから、光合成の半分が海中で行われているという話を聞いて、とても新鮮に感じたんです。森と海が連携することで、はじめて今の生態系が生存することのできる環境ができあがっているんだって。

―そう言われてみると、ハッとしますね。

そうなんですよ。人間も含めた今の種が生きていくことができる自然環境ってものすごく限られてる。地球という惑星自体は、温度が20度上がっても、逆に氷点下まで下がってスノーボールアースになっても、あるいはゴミ山になっても、かつてのような岩の塊に戻っても、存在し続けることができますよね。でも、その上を生きる私たちは、ほんのちょっと環境が変わっただけで生きてさえいられない。私たちはそうした脆弱な存在でしかないんだけど、じゃあこの先、脆弱な私たちがこの地球上でいろんな種とともにどう歩んでいくことができるのだろう、歩んでいくべきなのだろう、とあらためて考えさせられましたね。

―そんな海洋調査に参加されて、クジラシリーズが生まれたんですね。

あるとき、白くて巨大な物体が、海にたゆんたゆん揺らいでいるのを目にしたんです。なんだろうと思ってよく目を凝らしてみたら、それは皮膚が溶けかけたクジラの遺体でした。その遺体は海に浮かびながら、鳥や魚に食べられていたんです。その光景にものすごく衝撃を受けてしまって。私たち生物は何かを食べる存在であると同時に、何かに食べられる存在でもある。当たり前のことではあるんですが、巨大な遺体が無数の生物に食べられているという光景の凄まじさに、そういう食べる、食べられるの関係、命の循環をあらためて実感したんです。

そのクジラが生きていた間は、それこそ大量の生き物を食べてきたんだと思うんです。でも、死ぬと食べられる側になる。それはクジラに限らずどんな生物でも一緒なはずです。

海の上ではそうした食べる、食べられるがずっと繰り返されていて、そう考えると海というものが“生命のスープ”みたいに思えてきたんですよね。同時に私自身もそのスープのなかを生きているんだっていう感触もあった。だから、その光景を見てしまったものの責任というか、ある意味、あのクジラの遺体に応答するように、それから『鯨の目』というシリーズを3年か4年くらい制作していました。

―制作にあたり意識したことは?

自分たちが何によって生きているか、何に依存して生きているか、ということを意識しながら制作しました。実際、私たちは途方もない生と死の連鎖の上に立っています。土ひとつにしても、岩盤であった岩肌を小さな小さなバクテリアたちが食べ、その糞であったり様々な生物の死骸が積み重なってできたものです。その土の粒が私たちが食べるものを育くんでいます。そうした私たちの生が負っているものたちのことを考えながら制作しました。

◆あらためて、土や自然に自分を接続し直したい

―そして土への関心に移っていったのですか?

そうですね、新しい作品は絵画だけではなく陶器も使っています。緊急事態宣言の発令が出たあとに別の滞在制作で、湯河原にある陶器の工房にこもっていたんです。土は私たち生命が根ざすところのものですよね。また、土から作られたプリミティブな容器である土器は水を貯めたり、骨をいれる器でもあり、人間にとってすごく重要な存在だったと思うんですね。そうした意味でも土と人との関係は深い。とりわけ、パンデミックのさなかに土と触れ合えたことで、そうしたリアリティをもって制作ができました。

ゴレムGolem Photo by Kenji Chiga

―その作品も結構インパクトがありました。

練馬区立美術館で出展した『ゴレム』という土人形ですね。なぜ土人形かというと、人間のヒューマンの語源はラテン語で腐植土を表す「フムス」という言葉なんですよね。私たちは語源的にも腐った土からできていて、それこそ微生物をはじめとする数多の存在の生と死の循環のなかでかろうじて生きている存在なんです。世界各地の神話にも人の体が腐って芋になったりトウモロコシになったり大豆になったりという話がありますよね。私たち自身がそういう腐蝕のなかから生まれたヒューマンであるということを今一度認識しながら、自分の身体と土とをきちんと接続し直したいという気持ちからつくったのがこの作品です。

―語源をたどると色々な発見がありますね。

そうですね。ヒューミリティ(humility)、「謙虚さ」という言葉もフムスを語源にしていると言われています。それを知ったとき、私はこの世界で生きていくためにも謙虚であろうとした昔の人々の知恵を感じました。それこそ私の腸のなかでも菌たちがいつも働いてくれていて、そのおかげで食べた物を消化することができてる。これは一例に過ぎないけど、私たち人類は決して一つの種として自立して生きているわけではなく、多種に依存しながら、また逆に依存されながら、かろうじて生きてるんですよね。種という境界を超えて、人間以上の存在といかに向き合っていくことができるのか。そういう生の切実さをもう一度もち直したいんです。

―謙虚という話が出てくるのが興味深いですね。

現代を生きる私たちのパースペクティブ(視野)はあまりに人間であるということに固定されすぎている気がしています。人間目線で考えることが当たり前になりすぎてる。それこそ「自然を大事にしよう」というときの自然って一体何だろう? それは人間にとって都合のいい自然なんじゃないの? という疑問もあります。コロナの存在だって、殲滅すべき敵のように語られていますけど、パンデミックで人間の活動がとまったことで大気汚染が減っていたり、動物たちが街に出てきたりしている現実も一方にはある。どこからの視点で自然を語るかによって、見え方は大きく変わってしまうと思うんです。だからこそ、地球上に生きる多種の視線を自分自身に取り込んで考えることが大切なのかなって思う。簡単なことではないですけど、そういう思いで制作しています。

―トルソーの作品もおもしろいなと思いました。

ウェヌス Venus Photo by Osamu Nakamura

同じく練馬で展示した『ウェヌス』という女神像ですね。人型のトルソーに皮をツギハギに縫い付けて、海洋研究者の方にお借りしたプランクトンの映像をNASAの宇宙の映像と混ぜて投影したんです。プランクトンが作り出した酸素が宇宙との境であるオゾン層を作っている。それって、地球を身体に例えれば皮膚のようでもあるなあって思って。だから、オゾン層を第2の皮膚として捉えて、トルソーの皮膚にプランクトンと宇宙の映像を投影してみたんです。しかもプランクトンとプラネットは語源が同じで、ともに「プラン=彷徨う」というギリシャ語から生まれた言葉なんです。

―意味を深掘りしていくのが、大小島さんのおもしろいところですね。

調査だけが先行して続いていく形ではないですし、意味がまずあってそこに形を与えていくというのでもないんです。興味が惹かれるままに異なるもの同士を組み合わせていったりしてると、自然と語源ではつながっていたりする。もちろん、調査もしますけど、まず最初に制作がある。私にとって制作というのはごく普通のことで、それこそ絵を描く行為は3歳くらいからずっと続けているんですけど、描けば描くほど気になることが増えていくんですよね。そして気になったら調べる。その調べたことがまた絵にフィードバックしていく。その繰り返しなんです。

◆人間は絡まり合わないと生きていけない

―興味の先に作品があるという感じなんですね。

こちらの『Entanglement hearts』についても教えてください。

Entanglement hearts

「絡まり合う心臓」を描いたシリーズです。学生時代にはじめたシリーズで、最近は描いていなかったんですが、緊急事態宣言を受けてから久しぶりに再開しました。先ほどお話したように私たちは”自分だけでは生きていくことができない”。私たちは常に他の存在との、生と死との、有機物と無機物との絡まり合いのなかにあって、そういう絡まり合いの様々なヴァリエーションを命のシンボルである心臓をモチーフに描いている作品です。

―ひとつひとつまったく違いますね。

たとえば『エピタフ』と名付けた作品などでは、人類学者の奥野克巳さんから教わったヴァン・ドゥーレンという研究者のインドのハゲワシの絶滅についてのレポートを参考にしました。発端は人間が牛に与えていた興奮剤であるジクロフェナクです。そのジフロフェナクは牛の死体にも成分として残っていたんですが、それはそれまでインドで牛の死体を食べていた、ある意味では片付けていたハゲワシたちにも影響を与え、ハゲワシを絶滅させてしまいました。すると、牛の死体が大量に放置されることになった。そして、その死体から炭疽菌が発生し、蔓延するようになったんです。それだけじゃなく今度は、牛の死骸を餌とする野犬がとても増えてしまって、街中に狂犬病ウイルスもばら撒かれるようになった。こうして、人間が牛に対して行った薬物投与が、まわりめぐって人間に感染症の脅威をもたらしたんです。これは決していい連鎖ではありませんが、私たちが絡まり合って生きているということを教えてくれる事例だと思います。生態系は複雑かつ緊密に絡まり合っていて、それは人間のコントロールを超えたものです。だからこそ私たちはもっと謙虚にならなくちゃいけない。そういう思いを込めて描きました。

―命ってこんなふうに絡まっているんだなあという気づきから生まれた作品なのですね。

それは当たり前のことなんだけど、当たり前のことって気づきにくいですよね。それに人は忘れることで生きていけるようなところもある。呼吸だって毎回意識してたら大変ですよね。現代社会に適応するためには、さっき話したような命の複雑な絡まり合いなんて忘れてしまった方が、もしかしたら楽なのかもしれない。でも、インドのハゲワシの話が示していることは、それを忘れてしまうことが時として、他の生物だけではなく、自分たちの首をも絞めることになるということです。今日のパンデミックだってそうですよね。だから、やっぱり忘れてはいけないんだと思います。

―作品を見た人がそこに思いいたっていくといいですよね。

私の考えを押し付けるというよりは、世界はすごいんだよ、ということを伝えたいんです。だって生物がこんなにも絡まり合って生きているということは純粋に驚きじゃないですか。私自身、そうした驚きをもっと感じたくて制作をしているところもあるので、そういう驚きや感動をシェアできたらいいなとは思うけど、先生のように道徳的に何かを教えるような立場にはいないと思ってます。

―テーマは一貫しているけれど表現方法は絵画だけではなく立体の作品が多くなってきた印象があります。何か心境の変化があったんですか?

もともと絵はずっと描いてきてるので自分にとってはすごく身近な技術なんです。絵であれば、ある程度表現したいことが表現できてしまう。だから、もっと知らないものにコンタクトしてみたいという気持ちがあって、そういうときに陶器のような、土を素材とする制作に関われることは、私にとって嬉しい出会いなんですよね。絵に比べたらコントロールしにくいけど、その偶然性に喜びや驚きを感じてもいて。こういう感覚は今後も大切にしていきたいです。

―事象によって影響されて、変わっていくんですね。

もちろん! 「この筆のこの線が私」みたいなものはありませんから。何かと出会って、何かを体験して、その体験から得た思考を作品にすることが好きだし、そうした出会いや体験を通じて変化していく自分でい続けたいと思う。だから、確固たる私なんてなくて、私自身がブリコラージュみたいなツギハギに過ぎないんです。ただ、逆説的なんですけど、私はそこに自分らしさを感じているんだと思います。

(文:飯田ネオ)

大小島真木
おおこじま・まき|1987年、東京都生まれ。2011年に女子美術大学大学院修士課程修了。2009年にトーキョーワンダーウォール賞、2014年にVOCA奨励賞を受賞。2020年に練馬区美術館でグループ展「Re construction 再構築」に参加。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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Art Sticker では、大小島真木の作品を詳しく紹介!

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