軽自動車の4車種で燃費試験不正を行っていたことが発覚した三菱自動車。同社の不正の歴史は古く、90年代から連綿と続いていた。しかも調べれば調べるほど問題の原因は根深く、すでに分かっていること以外にも疑わしい点がある、とモータージャーナリストの池田直渡氏は言う。この事件の、そして三菱自動車の本質的な問題とは何なのか?

三菱自動車の記事を“封印”していた理由

筆者は三菱自動車のクルマについては原稿を書かないことに決めていた。「封印」と言ってもいい。それは、2002年に2件の死亡事故という最悪の結果を引き起こしながら、その後も懲りずに隠蔽を続けた、三菱の体質に根源的な疑いを持ったからだ。

最終的な決め手となった事件について書いておきたい。一連のリコール隠し問題がひとまずの決着を見た2005年、三菱は新型車アウトランダーを発売した。当時筆者は自動車雑誌の編集部にいたが、アウトランダーの発表会から激高して帰って来た同僚がいた。

「三菱の広報の人が言うんですよ。三菱は過ちを犯しました。それについて深く反省をし、すでにみそぎは済みました。これからは攻めです」

その言葉を聞いた時の、筆者の絶望を想像してほしい。2002年の死亡事故からたった3年しか経っていない。それでもうみそぎは済んだというのか……。リコール隠しはどう割り引いてもひどい問題だったが、それを乗り越えて頑張って再起してほしい。当初はそう願っていた筆者にとって、それはとても残酷な言葉だった。

以来、三菱の原稿は1本も書いていない。試乗の機会があっても行っていない。試乗してクルマの出来が良かったら、良いクルマだと書くしかない。しかしそれで、原稿を読んでクルマを買った読者にもしものことがあった時、原稿の書き手としてどう詫びればいいのか。かと言って、それを理解してもらうために、毎回毎回、原稿の序文で三菱のリコール隠しについて触れ「乗って分かるクルマの出来とは別の問題に、筆者は責任を負えない」と断るのも常軌を逸しているではないか。試乗だけでは不明な部分に何を隠してあるか分からないクルマは乗ったら負けだ。だから、頑なに書かなかった。

もちろん、かつても、そして今も、三菱の中には本気で改革を考えている人は絶対にいる。2005年当時の三菱のキャッチフレーズは「答えは、クルマで出します。」だったのだ。筆者自身もずっと「少し意固地過ぎはしまいか。人の善意をもっと信じてもいいのではないか」という思いを抱えてきた。そういう思いで過ごして来て、今回の燃費データ不正の報道に触れたのである。あんまりだ。今回だけは書かなくてはならない。そう決断してこの原稿を書いている。