1997年、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件。2年後、加害男性「少年A」の両親は手記を出版した。その背景には、当時『週刊文春』記者で、土佐犬と共に育ったという森下香枝氏の存在があった――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。

神戸新聞社に送られた神戸の小学生男児殺害事件の犯行声明文と挑戦状(兵庫・神戸市)

真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた

一人の少年の犯罪が、社会にこれほどの衝撃を与えた例はないだろう。

第一の犯行は2月10日だった。小学校6年生の女児を、ショックレスハンマーで殴打し、加療一週間のケガを負わせる。同じ日。別の小学校六年生の女児を、またしてもショックレスハンマーで殴打。

3月16日。小学校4年生の山下彩花さんを、八角玄翁(鉄のハンマー)で2回殴打。彩花さんは一週間後に死亡する。

同日。小学校3年生の女児の腹部に、刃渡り13センチのくり小刀を突き刺し、加療約14日間のケガを負わせる。

被害者はいずれも、通りすがりの女子小学生だった。3月の犯行後につけ始めた「犯行ノート」に、少年Aはこう書いた。

〈朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。〉

この翌月には、「懲役13年」と題する長い作文を書いている。「13年」とは、自分がそれまで生きてきた年月を指すのだろう。その最後の段落に、Aはこう書いている。

〈人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。〉

「さあ、ゲームの始まりです」

犯行は、さらにエスカレートしていく。

5月24日、弟の同級生で顔見知りだった、小学校六年生の土師淳君を、通称「タンク山」の頂上に誘って絞殺する。翌25日の昼間、金ノコで頭部を切断し、自宅へ持ち帰った。

26日深夜、自分が通っていた中学校の正門前に、頭部を遺棄。自筆の声明文を、口にくわえさせていた。今も記憶に残る、あの声明文だ。

〈さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇〉

6月4日には、神戸新聞社に犯行声明文を送りつける。そこには、こんな一文があった。

〈透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない〉
〈しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。〉