1988年、埼玉県の路上で女子高生が拉致され、40日間にわたって足立区綾瀬で監禁されて暴行・強姦を受け続け、死亡。遺体をコンクリート詰めにされて東京湾埋立地に捨てられた。犯罪史上類をみない残虐な事件は、「少年法」改正への契機となった――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第5章「『実名報道』影の立役者」の一部を再編集したものです。

女子高生がコンクリート詰めされ捨てられた江東区の埋め立て地
写真=読売新聞/アフロ
女子高生がコンクリート詰めされ捨てられた江東区の埋め立て地=1989年3月30日撮影

「人を殺しちゃダメじゃないか」

残忍かつ、極悪非道。

たまたま通りかかっただけの女子高校生を拉致して、40日間にわたって監禁。集団で凌辱し、殴る蹴る、ライターのオイルをかけて火をつけるなどの暴行を加えたあげく、なぶり殺しに。ついには、ドラム缶の中に遺体をコンクリート詰めにし、埋め立て地に遺棄した。

少年たちの罪名は、「猥褻・誘拐・略取・監禁・強姦・殺人・死体遺棄・傷害・窃盗」。検察の論告に「残忍かつ極悪非道である点において、過去に類例を見出し難く、重大かつ凶悪な犯罪」とある通りだ。

事件が発生したのは、昭和天皇の容態悪化が連日報じられていた、1988(昭和63)年11月のこと。しかし発覚したのは、平成の時代に移って3カ月もたってからだった。別件の婦女暴行やひったくりの容疑で逮捕されていた少年二人の余罪について、警察官が練馬少年鑑別所を訪れ、取り調べたことが発端だったという。

当時、綾瀬署管内で未解決の強盗殺人事件があった。同じ昭和63年11月に、36歳の女性と7歳の長男が自宅マンションで殺され、現金が奪われたのだ。

捜査員が、少年の一人に、

「人を殺しちゃダメじゃないか」

とカマをかけた。勘違いして、

「すみません、殺しました」

と口走ったのはA18歳。Aの自白を知って、女子高生惨殺を詳細に供述したのがC17歳。それは捜査員が初めて耳にする、母子殺人とはまったく別の凶悪事件だった。

肉親でさえも我が子と識別できなかった

二人の供述通りに3月29日、江東区若洲の埋め立て地に放置されたドラム缶の中から、遺体が見つかった。激しい損傷のために確認作業は難航したが、前年11月末から行方不明になっていた、埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生であることがわかった。綾瀬警察署と警視庁少年二課は、AとCを殺人・死体遺棄容疑で逮捕。彼らの供述から、おぞましい犯行の全貌が明らかになり、さらにB16歳とD17歳の二人が逮捕される。

『週刊文春』の第一弾「彼らに少年法が必要か 女子高生監禁・殺人の惨」(89年4月13日号)は、発見された遺体の様子から書き起こしている。

〈直径60センチ、高さ90センチのドラム缶に、身長165センチのE子さん(埼玉県立八潮南高校3年=17 本文では実名)は、しゃがみ込むような恰好でコンクリート詰めにされていた。
「コンクリートを砕くのに手間取りましたが、遺体が出た瞬間、あまりのむごさに顔をそむける捜査員もいたほどです。(中略)肉親でさえも我が子と識別できなかった」(捜査関係者)
E子さんの遺体は、「人間をそのまま缶詰にしてしまったような状態」(同)まで腐乱が進んでいたが、殴る蹴るのリンチを全身に受けたため、皮膚の色は、顔は言うに及ばず、どこもかしこも真っ黒だったという。〉