富士重工(現SUBARU)が作った車の中でも特に評価が高い「スバル1000」。国内初の先進技術を搭載していたが販売不振が続き、わずか5年で市場から姿を消した。アルファ・ロメオさえ真似したとされる名車は、なぜトヨタに勝てなかったのか——。

※本稿は、野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

提供=SUBARU
1966年に発売された「スバル1000」

辛口評論家すら絶賛した世界的な先進技術

これまで富士重工(現SUBARU)が作ったなかで、極めつきの名車とされているのが「スバル1000」(1966年発売)だ。

後にアルファロメオが作ったベストセラーの小型車アルファスッドに影響を与えたとされるもので、スバルユーザーの間では「日本自動車史上ナンバーワン」「神話の域にいる車」と言われた。

自動車評論家の徳大寺有恒は著書『間違いだらけのクルマ選び』のなかで、数ある大衆車に辛口の評価をしているのが、スバル1000だけは絶賛されている。それくらい高い評価を受けた車だった。

設計担当はスバル360で名を上げた百瀬晋六と配下の「百瀬学校」のチームである。彼らは富士重工初の小型車に当時、世界的にも先進とされた技術を「これでもか」と詰め込んだ。