コラム:元安騒動、貿易戦争巡る中国の意趣返しは本当か=植野大作氏

コラム:元安騒動、貿易戦争巡る中国の意趣返しは本当か=植野大作氏
 7月30日、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト、植野大作氏は、最近のドル高・元安は、米中両国の金融政策格差による部分が約8割、中国当局の元安誘導あるいは是認による部分が約2割の割合で生じている現象だと分析。写真中央は中国人民元紙幣、背景は米ドル紙幣。2017年5月撮影(2018年 ロイター/Dado Ruvic)
植野大作 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 チーフ為替ストラテジスト
[東京 30日] - 真夏の外為市場で人民元安が加速している。7月30日の上海市場の午前中には一時1ドル=6.8428元と、2017年6月以来約1年1カ月ぶりのドル高・元安水準を記録する場面があった。3月下旬に記録した年初来安値の6.2431元を大底に、約4カ月間で9.6%ものドル高・元安が進んでいる。
中国人民銀行(PBOC)が事実上のドルペッグ制を改め、人民元の柔軟化改革の第一歩に踏み切った2005年7月21日以降、中国政府が目指す「元の国際化」に必要不可欠な為替変動メカニズムの弾力化措置は、約13年間で7度も講じられている。
このため、かつてに比べて人民元は柔軟に動くようになっているが、これほど急な速度でドル高・元安が進むのは初めてだ。元安加速の背景と今後の相場展開を巡り、国内外の市場関係者の間でさまざまな推測や憶測が飛び交っている。以下、筆者の見解をまとめておく。
<ドル高・元安の8割は金融政策で説明可能>
ドル高・元安が加速し始めた今春以降の米中両国における金融政策運営の足跡をみると、米連邦準備理事会(FRB)は3月と6月に0.25%刻みの利上げを2度実施、4月と7月には保有債券の再投資減額によるドル資金の回収ペースも2度引き上げて政策金利とバランスシートの正常化に動いている。
一方、中国PBOCは4月と6月に預金準備率の一部引き下げを発表、日本の内閣にあたる国務院が7月下旬に開催した常務会議で「穏健な金融政策」の指針を表明しつつ、零細企業や農家向けを中心に適切な金融支援による貸出増の方針を示すなど、金融緩和色の強い政策運営を行っている。
衆目に明らかな米国と中国の金融政策の違いに反応してドル高・元安が進むのは自然な流れだ。実際、今春以降のドル高・元安は、米国が3月下旬に利上げを実施、4月にドル資金の回収ペースを上げる一方で、中国が預金準備率を引き下げた頃から加速している。
ただ、そうは言ってもこの間のドル高・元安は、やや一方的に進み過ぎているきらいもある。先述のように、3月下旬以降のドル人民元の上昇ペースはPBOCが今から13年前の夏に人民元の柔軟化改革を始めてからでは最速だ。特に6月中旬以降の加速は目覚ましく、ドル人民元の週足は7週連続で陽線を記録、ほとんど抑揚のない一次関数のような形状で一方通行のドル高・元安が観測されている。
周知のように、中国政府は長年の悲願だった人民元の国際通貨基金(IMF)特別引き出し権(SDR)への参入を決めて名目上の「国際通貨デビュー」を果たした2016年10月以降も自国通貨の管理フロート制を堅持、完全な変動相場制には移行していない。
よって、従来に比べて柔軟化されたとはいえ、人民元の動く方向やスピード、あるいは水準などについては、PBOCあるいはその上部組織である国務院による「何らかの政治的意図」が反映されるとみている市場関係者は多い。
今年3月下旬にドル人民元が大底を打ってドル高・元安が加速し始めたタイミングは、くしくも米国が中国を含む国々からの鉄鋼・アルミニウム製品に対する輸入関税引き上げを実施、中国政府もほぼ同額の米国産品への報復関税を発動した時期と一致する。
その後、米中貿易戦争がエスカレートし、双方が500億ドル分の相手国製品への関税引き上げリストを公表して、うち340億ドル分の増税合戦が始まった7月6日を挟んでドル高・元安が一方的に加速したのは、単なる偶然の一致ではない可能性がある。
中国政府が米国を相手にした輸入関税引き上げ合戦の本格化を前にドル高・元安を進めておけば、メイド・イン・チャイナ製品の米国内での販売価格上昇を抑制できる一方、米国製品の中国内での価格競争力に打撃を与えることが可能になるからだ。
米中両国の金融政策格差が拡大する時期と米中貿易戦争が激化するタイミングが見事に一致しているため、「為替操作は行っていない」という中国政府の主張を完全なうそだと否定することは難しい。実際、ほぼ同じ時期に元以外の通貨に対してもドル高は進んでいる。
ただ、世界第2位の経済大国になり、自国通貨がIMFのSDR構成通貨になってもG7諸国の自由化要請を退け、かたくなに人民元の「管理フロート制」を維持している国の言い分を、「はい、そうですか」と無邪気に信じている市場関係者はほとんどいない。
筆者の勝手な見立てだが、このところ観測されているドル高・元安は、米中両国の金融政策格差によって促された部分が約8割、中国当局の人為的な判断による元安の是認あるいは誘導による部分が約2割の割合で生じている現象なのではないか。
<「1ドル=7.0元」抜ければ別次元の元安騒動へ>
もっとも、中国政府が自国通貨安誘導を対米貿易戦争で自国製品の競争力を保護し、米国製品の競争力をおとしめる武器として使用するのは必ずしも最良の戦略ではない。極端にやり過ぎると自らも非常に深い傷を負う「もろ刃の剣」になる可能性がある。
為替市場でドル高・元安が進めば中国の輸出品の価格競争力が改善するのは事実だが、中国企業の中には外貨建て債務比率の高い会社や外貨での費用支払い率が高い会社もたくさんあり、元安による債務返済や支払費用の増加がむしろマイナスに働く面もある。
また、中国政府が米国産品への輸入増税と同時に元安誘導を実施すると、関税アップの対象になっていない輸入品の仕入れコストも上がってしまうので、中国の国内中小企業や一般消費者には「関税」と「元安」によるダブルパンチで打撃が及ぶことになる。
実際、今から数年前の元安局面で自国通貨安が一方的に進むのを中国政府が黙認し過ぎた時期には、「中国人マネーの海外逃避」をテーマに元売り投機が活発化、PBOCが慌てて外貨準備を取り崩す元買い介入を実施しても上海市場で元安・株安の悪循環が止まらぬ事態を招いて国内市場が激しく動揺した苦い経験がある。
このため、中国政府が今後も極端な元安を容認したり、意図的に誘導したりする可能性は低いと思われる。近年におけるPBOCの為替操作の足跡をみると、元安の許容レベルは2017年1月5日にオフショア元市場の流動性を一気に絞って香港インターバンク金利を暴騰させ、自国通貨安を阻止した1ドル=6.95元台だった。
当該時点におけるPBOCのドル高・元安抑止のシーリング・ラインは、「1ドル=7.0元」だったようだ。今般のドル高・元安局面で観測された6.8元台は、まだそこまで到達していない。これまでにみたことのある「許容範囲内」の動きに収まっている。
よって、今後もドル高・元安が一段と進んだ場合、「PBOCシーリング=7.0元」を巡る攻防が注目されることになりそうだ。
この水準を突き破ってもPBOCが元安阻止の行動を採らなかった場合、市場関係者の間で中国当局の意図を探る「憶測トーク」が活発化、いま以上の元安騒動に発展する可能性がある。今後も予断を持たずに米中貿易戦争の行方を観察、ドル人民元相場の動きに目配せしつつ、その背景に関する不断の考察を継続する必要があるだろう。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
*本稿は、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。
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