コラム:利下げ後に米中摩擦さらに悪化、問われるFRBの判断=熊野英生氏

コラム:利下げ後に米中摩擦さらに悪化、問われるFRBの判断=熊野英生氏
 8月6日、米中の摩擦が一段と激化する中、9月の連邦公開市場委員会に向けて、FRBが本腰の入った利下げ姿勢に変われるかどうかが注目される。写真は5月20日、北京で撮影(2019年 REUTERS/Jason Lee)
熊野英生 第一生命経済研究所 首席エコノミスト
[東京 6日] - 米経済に再び暗雲が垂れ込めてきた。トランプ大統領が対中関税第4弾というカードを切ってきたからだ。
まさに青天のへきれき、米連邦準備理事会(FRB)が利下げした直後の発表だった。利下げサイクルに入ったわけではない、と突き放すように説明したパウエル議長の姿勢が株式市場から消極的とみられていただけに、第4弾のマイナスインパクトは株価下落に拍車をかけた。
翌2日に発表された雇用統計は非農業部門の雇用者数が前月比16万人増と、相変わらず総体的に米経済が好調なことを裏付けたが、その後に中国が人民元安を容認、米国が中国を「為替操作国」と認定するなど、米国の製造業は貿易戦争による打撃をさらに受けそうだとの懸念が強い。
焦点は、FRBの今後の翻意に移っている。9月の連邦公開市場委員会(FOMC)に向けて、本腰の入った利下げ姿勢に変われるかどうかが衆目を集めている。日銀が多用する「躊躇(ちゅうちょ)なく金融緩和」という言葉を実行に移せるかどうかがFRBには求められている。FRBが躊躇すれば、株価下落は続くことになるだろう。
その一方で、政治の意図をくんで先回りし過ぎれば米経済をゆがめかねず、FRBはさじ加減の難しい事態に直面している。
<第4弾の重み>
第4弾は米経済にどの程度のマイナスインパクトをもたらすだろうか。
これから米国は、クリスマス商戦を迎えて消費の拡大が期待される。クリスマスプレゼントは中国製品の占める割合が大きい。今までの対中関税は、消費者に身近な衣類、玩具、スマートフォン、パソコンなどを対象から外してきたが、9月1日からこうした中国製品に10%の追加関税が課されると、さすがに米国の個人消費にも陰りがみえるかもしれない。
これまでは米株価の上昇が購買力の拡大を支えてきた。5月初めにトランプ大統領が第3弾を発動した際もショックは大きく、米株は急落したが、FRBが利下げに前向きな姿勢を示したことで盛り返した。その効果が、好調だった4─6月の小売売上高に表れたと筆者はみている。
第4弾は3000億ドル相当に関税10%だから、影響は300億ドルの負担増という計算だ。第3弾は2000億ドルに15%の上積みだったから、これも同額の300億ドルの負担増。5月のインパクトは乗り切れたのだから、筆者はFRBが躊躇しなければ、利下げで乗り切れるとみている。
<追加関税は「増税」>
FRBは、物価上昇率がなかなか2%に届かないことに不安を感じてきているとされる。日本でも欧州でも中央銀行が政策金利をマイナス域にまで下げても物価を制御できなくなっている状況に、米国も多かれ少なかれ似てきたというわけである。米国の完全失業率は歴史的な低水準にある。雇用が拡大すればいずれ賃金上昇へ、そして物価上昇へとスイッチしていくものだが、現在、賃金は3%台まで上がっているものの、物価上昇率は1%台で低迷している。
この謎を解く鍵は、トランプ大統領の関税である。追加関税が、消費者が負担する実質増税だとみれば、それで消費者の購買力が奪われて、総需要の伸びが総供給を上回るデマンドプル型のインフレが起こりにくくなる。
トランプ大統領は2018年1月から大型減税を実施し、米経済を一時的に4%成長まで加速させた。対中制裁を本格的に開始したのはその年の半ばからだが、減税規模の方が大きかったため、当初は追加関税の負担は見えにくかった。それが18年後半ごろから存在感を増してきた。
つまりトランプ大統領の実質増税によるマイナス効果が、大型減税に伴う賃金上昇の購買力を奪い、低失業状態であっても意外なほどに物価上昇が加速しにくい状況を生んでいる。
追加関税は米企業にも打撃を与えた。トランプ大統領は中国製品に高関税をかけることで、競合する米企業を有利に導こうと考えたものの、実際は自国企業を利する効果は少なかった。逆に、スマホに代表されるように、サプライチェーンの中から中国企業の存在を取り除くことができずに米企業の足を引っ張ることになった。また、米企業は中国の報復関税によるダメージも受ける。
追加関税は増税なのだから、その逆を行えば米経済は改善する可能性がある。関税の撤廃によって米経済を刺激し、そのときFRBは再び金利水準を正常化させる。米国は財政収支の改善にも取り組める。もし2020年の大統領選でトランプ氏が交代することになれば、新大統領は経済政策においてとてつもないチャンスを得ることになる。
しかし、残念ながら対抗馬の民主党候補は混戦気味の上、対中強硬姿勢もトランプ氏追随の気配があり、筆者が考えるようなチャンスを活かせそうにはない。
<歓迎されていない米利下げ>
日本では、米国の利下げは円高要因として強く警戒されている。ドル金利低下がドル安・円高につながるという説明はわかりやすい。だが、FRBの利下げの恩恵を受けるのも日本経済であることを忘れてはいけない。
前述の通り、利下げはトランプ大統領の追加関税の悪影響を減殺する役割を果たす。米株が持ち直せば、日本株もいくらか押し上げられる。米個人消費が拡大を続けることで、日本からの輸出も増える。円高による企業業績の悪化を、輸出数量の増加が支えることになるだろう。
FRBの緩和が株価など資産価格を刺激することは、ドル買いの圧力を生み、長い目でみてドル高圧力に変わっていく。いったんは円高に振れても、少し時間を経てドル高・円安へと為替レートが移っていくことは、これまでにもあったことだ。
筆者は、FRBの金融緩和が短期的には円相場を押し上げたとしても、じわじわと下落方向に戻す作用を持っていると考える。過剰な円高警戒論には少し疑問が残る。
<新たなバブル的変化への警戒>
利下げに反応し、米長期金利は低下している。これまで日欧の長期金利が極端に低下していたため、米長期国債の利回りが運用難の中でも魅力ある投資対象になっていた。世界的な超低金利下でもドル需要が相対的に強かった理由だ。
では、米利下げによってこの構図は変わるだろうか。ドル金利の低下は、債券から株式への資金シフトを促す。そして、利回りの稼げる資産から、原油・金・ビットコインのような無利息の投資対象への資金シフトをも喚起するだろう。また、低格付社債への投資といったリスクプレミアムの縮小、リスク資産へのシフトも考えられる。
世界経済の成長が依然として力強いとき、あまりに予防的利下げに走ってしまうと、それがバブル的な資産価格の変動を生じさせる。
トランプ大統領は、FRBの政策運営にまでいちいち注文を出すようになった。これは、20年秋に大統領選挙を控えていることが原因である。FRBは、大統領の介入に動かされているとは思っていないだろうが、あの大統領がいるから早めに緩和カードを切った方が良いという発想に無意識のうちに傾いている可能性はある。
こうした政策バイアスが、次なるバブル的資産価格の上昇へとつながっていくことに筆者は警戒感を抱いている。すべては、政治発の混乱を吸収したいとFRBが考えることが、余計なゆがみを生じさせるのである。
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。
(編集:久保信博)
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