コラム:黒田日銀と財政の距離が問われている=熊野英生氏

コラム:黒田日銀と財政の距離が問われている=熊野英生氏
 金融政策決定会合後の会見で、黒田東彦日銀総裁が気色ばむ場面があった。6月16日の会見でも、財政ファイナンスについて記者から質問された時は、少し感情的な回答だったように思える。熊野英生氏のコラム。写真は都内で2019年12月撮影(2020年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)
熊野英生 第一生命経済研究所 首席エコノミスト
[東京 26日] - 金融政策決定会合後の会見で、黒田東彦日銀総裁が気色ばむ場面があった。6月16日の会見でも、財政ファイナンスについて記者から質問された時は、少し感情的な回答だったように思える。これは6月の会見に限った話ではないが、2020年度の第1次・2次補正予算が国会で成立し、計60兆円近くの国債増発圧力のことが衆目の関心事となっていたタイミングだけに、黒田総裁もいら立ったのだと思う。
毎回、会見を見ていて悔しいのは、黒田総裁の回答に反論できず、こちらが指をくわえて聞いているだけだという点である。
例えば、「日銀は財政ファイナンスをやっているのか」と記者から問われて、「いや、国債買い入れは金融政策としてやっている」と回答。次に「国債発行額のほとんどを日銀が買い入れると、財政規律を脅かすのではないか」と質問されると、「政府や国会が規律を失うというのは失礼だ。財政は財政の立場でやっている」と応じている。
読者の皆さんは、黒田総裁の返答を聞いてどうお感じだろうか。
<財政の利害に接近し過ぎている>
黒田総裁の発言の最大の問題点は、自分が中央銀行総裁という特殊な立場であることを脇に置いていることだ。中央銀行は、財政当局との利害関係が密接なので、意図的に無視するように振る舞っていても、そこには強い思惑が生じる。
分かりやすいように、財政の事情を中心に据えて説明すると、財政拡張の自由度は、国債マーケットの反応に制約される。国債買い入れを通じて、長期金利を過度にコントロールすると、財政当局はそれに甘んじて、財政拡張に制約がなくなると錯覚することになる。それが、財政規律の希薄化になる。
以前は、日銀の国債買い入れが長期金利とは直結していなかった。金利コントロールとは、短期金利を指し、財政当局はマーケットの反応に制約されていた。だから、低金利政策は財政規律を脅かすものではないと言っても、それで皆が何とか納得していた。
ところが、長期金利をも操作する「イールドカーブ・コントロール」の下ではどうだろうか。財政当局との利害は接近して、日銀の政策は国債増発を容易にする。そのことを自覚している日銀総裁であれば、金融政策は様々な副作用を考慮しながら注意深く進めていると応じた方がよいと思う。
以前の日銀総裁は、低金利政策の運用に関して財政の利害と距離を置いていたが、現体制は財政の利害に近過ぎる。何より、以前の日銀総裁ならば、長期金利コントロールに深入りすることはなかっただろう。
<財政運営は「国会がお決めになる」ことか>
財政運営が常に正しく行われているというのは、建て前である。財政規律の喪失とは、その建て前が成り立たなくなることを指す。
少し極端な例だが、なぜ、依存症に陥る薬物(危険ドラッグ)が法律で禁じられているのかを考えてほしい。正常な人間は薬物を使わないというのが建て前だ。しかし、いったん薬物を使うと、正常な人間は、中枢神経を侵されて、正常な判断ができなくなる。正常な活動ができなくなると、他人に害を及ぼすことが分かっているから、法律で禁止している。
財政運営が税収の裏付けなく行われると、政府債務が発散して、のちのち、インフレや長期金利上昇の弊害が起こる。中央銀行が財政ファイナンスを行うと、税収の裏付けなく歳出が拡大しやすくなる。だから、財政ファイナンスは、財政法で禁じられている。丁寧に説明すると、正常な財政運営の前提が崩れるから、財政ファイナンスは禁じられているのだ。
現在の日銀の国債買い入れが、財政ファイナンスであるかどうかは、財政法の精神に照らし合わせて、常にその危険性に注意する必要がある。
当事者たる日銀がそれを無視することは、財政法を無視することにつながる。財政運営は、すべて国会が決めて、国会以外は口出しができないというものではなく、ステークホルダーたる日銀は、正常な運営を守っていく役割を持っている。財政運営が正常に行われるための役割を日銀が何も持っていない、と言えば、それが間違っていることがわかるだろう。
<超大型補正予算の財源問題>
6月の会見で一番の焦点は、政府が第1次・2次補正予算を通して、そのファイナンスのほとんどを国債増発で賄うことについて、日銀がどう対応する気でいるかを聞くことであった。
筆者は、国債増発分のほとんどを日銀が購入するのは仕方ないと考える。コロナ対応で国債増発が膨らむことは、経済対策の必要上、やむを得ないし、そこで日銀が増発圧力を吸収することは正しい選択である。財政法の精神に照らしても、財政規律を喪失させるものではないと考えられる。黒田総裁もそのように答えればよいだけだと思った。
問題は、60兆円近くの増発が後から税収で賄われるかどうかである。誰かから財源の話を求められたならば「それは国会がお決めになることだし、しっかりと手当てされると思っている」と応じればよい。
筆者も、財源問題については「今は財源確保を明確にすべきタイミングではないが、経済が落ち着けば、具体的に検討すべきだ」と答えることにしている。
多分、政府は2025年度の基礎的財政収支の黒字化の目標について、近々、描き直さなくてはいけないだろう。筆者はそのときに約60兆円の財源問題は避けて通れないとみている。
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。
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編集:田巻一彦

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