アングル:北朝鮮との最前線、おとぎ話が覆い隠す韓国の悪夢

[ソウル 26日 ロイター] - 韓国の首都ソウルから車で北に30分ほど有刺鉄線沿いの幹線道路を走ると、サッカースタジアム数個分の広さを擁するショッピングモールが2つある。その目と鼻の先にあるのは、南北朝鮮を隔てる世界有数の軍事境界線だ。
モールは北朝鮮との非武装地帯(DMZ)に接する韓国最北端の坡州市にある。ここは、27日に休戦から64年を迎える朝鮮戦争(1950─53年)で休戦協定が協議された板門店への玄関口だ。当時はまだ言葉を交わしていた両国だが、最近では口も利かなくなった。
「坡州でおとぎ話が現実に」と韓国観光公社の広告はうたっている。だが朝鮮戦争のさなか、同市では最も激しい戦闘が行われ、それはまさに悪夢としか言いようのないものだった。ここには、韓国で唯一の「敵の墓地」があり、中国と北朝鮮の兵士が眠っている。
今となっては、ほとんど忘れられたも同然の歴史である。ロッテ・プレミアムアウトレットの屋上からは、子ども連れの家族が、臨津江の向こう側の北朝鮮を双眼鏡で見ることができる。このモールにはメリーゴーラウンドや映画館、ミニ鉄道もある。
一方、新世界百貨店<004170.KS>が経営する坡州プレミアムアウトレットでは、うだるように暑い7月のある日、施設内の噴水の周りで大勢の子どもたちがはしゃぎ回っていた。ここから数キロ離れた場所に、人気観光地の南仏プロバンスをモデルに造られた村「プロバンスマウル」があり、絵本に出てくるようなレストランやパン屋、衣料品店が建ち並ぶ。
また、市内には他にも、子どもが美術館で木彫りのピノキオ人形を作ったり、大人が農園で野生のブドウから作られたワインを試飲したりできる場所もある。
北朝鮮が、米国の独立記念日である7月4日に大陸間弾道ミサイルの発射実験を実施して以来、高まっている緊張など、ここ坡州市では、みじんも感じられない。同ミサイル実験を受け、米韓は同市付近の上空で合同軍事演習を行った。
<散らばった地雷>
しかしプロバンスマウルで出会った、ソウル南部から来た会社員で、4歳の息子を持つKim Ki-deokさん(41)は、軍事境界線の近くにいても危険を感じないと話す。
「北朝鮮が本当にやる気なら、遠くからでもミサイルを撃つことができる」とKimさん。「リフレッシュできたし、ここにまた来たい」
こうした無頓着さは、南北の軍事境界線に接するDMZ付近の米軍基地「キャンプ・ボニファス」でも見受けられる。坡州市郊外にある同基地には、米スポーツ・イラストレイテッド誌がかつて「世界で最も危険なゴルフコース」と呼んだミニゴルフコースがある。朝鮮戦争時の地雷が至る所に散らばっているからだ。
朝鮮戦争は休戦協定により休戦しているが、いまだ平和協定は結ばれておらず、韓国と北朝鮮は厳密に言えば戦争状態にある。
韓国人は最悪のシナリオの中で生活するのに慣れ切っている。そのシナリオとは、北朝鮮の大砲1万門が韓国に向けられ、いつでも発射可能な状態にあり、北朝鮮の宣伝組織の言葉を借りれば、ソウルが「火の海」や「灰の山」になることだ。
北朝鮮のこけおどしにすぎない、と30歳のPark Chol-minさんは一蹴する。
「ただの見せかけ、パフォーマンスだ。ソウルを火の海にしても、北朝鮮は得るものよりも、失うものの方がはるかに大きいと思う」と、ソウル出身のビデオゲーム・プロデューサーのParkさんは語る。恋人の誕生日プレゼントを買うため、彼女と坡州プレミアムアウトレットにやって来たのだという。
<防衛機制>
坡州市は2000年代にリベラル政権が北朝鮮に対して「太陽政策」を取って以降、北朝鮮関連の観光事業を強化。外国人や韓国人は、警備に当たる無表情の北朝鮮兵士や北朝鮮が掘った地下トンネルを見ようと、または朝鮮戦争末期に捕虜が交換された自由の橋がある臨津閣に行こうと板門店に押し寄せた。
観光事業は、韓国の小売り大手である新世界百貨店とロッテ<023530.KS>が巨大プレミアムアウトレットを2011年後半にオープンしてから大きく飛躍した。この2つのアウトレットへの訪問者数は昨年、1200万人超に達した。ソウルの人口1000万人よりも多い。
だが同アウトレットのオープンからほどなくして、北朝鮮は金正恩氏の下でミサイル・核実験の実施ペースを加速させた。同氏は2011年12月に父親の金正日氏が死去した後、北朝鮮の指導者となった。
「発射実験によって観光客の関心が衰えているということは全くない」と、観光事業を担当する坡州市職員は匿名で語った。「悲しいことだが、それは日常生活の一部となっている」
北朝鮮の脅威を正常化することは、韓国の「防衛機制」の1つだと、ソウル大学校の心理学教授であるKwak Keum-joo氏は指摘する。
「海外に行くと、北朝鮮を不安に思うのに、韓国に戻るとそれを忘れてしまう」とKwak教授は語った。
南北朝鮮を隔てる臨津江の南側にある小さな村、万隅里に暮らす74歳のWoo Jong-ilさんにとって、それほど気楽な話ではない。
Wooさんは、北朝鮮から飛んできた銃弾によって村民が負傷し、隣の家が被害を受けた1970年代初め、自宅の裏庭に地下シェルターを造った。
「今でも時代遅れとは思わない」と、家族7人が入るのに十分な広さである暗い地下シェルターを案内しながら、Wooさんはこう語った。
「不安に感じる。感じない方がおかしいだろう。前線にいて、犠牲となるかもしれないのだから。北との関係がいつ悪化しても、このシェルターが私を安心させてくれる」
(Hyunjoo Jin記者、Haejin Choi記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)

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