アングル:コロナ禍で歪んだ時間の感覚、不思議なメカニズムを探る

アングル:コロナ禍で歪んだ時間の感覚、不思議なメカニズムを探る
 7月8日、新型コロナウイルスの大流行は、「時間」が主観的なものであることを多くの人に気付かせた。在宅勤務を楽しんでいる人は毎日があっという間に過ぎていくし、旅行に出かけたり、愛する人に会いたいと思っているにとっては、時間の流れが遅くなる。 写真は3月31日、トルコのイスタンブールで撮影(2020年 ロイター/Umit Bektas)
[ニューヨーク 8日 ロイター] - 1日が非常に長く感じるときもあれば、1週間、あるいは1カ月があっという間に過ぎていくときもある。時間の感覚は、なぜこうも歪んでしまうのか。簡単な知覚テストを通じて、その要因を読み解いていこう。
新型コロナウイルスの大流行は、「時間」が主観的なものであることを多くの人に気付かせた。在宅勤務を楽しんでいる人は毎日があっという間に過ぎていくし、旅行に出かけたり、愛する人に会いたいと思っているにとっては、時間の流れが遅くなる。
時計が発明されたことで、人々は時間の経過を追うことができるようになった。その時計を見つめていると、一秒がいかに長いか実感することがある。
<時間の錯覚>
時間の錯覚を体感できる簡単なテストをやってみよう。
どちらも時間は同じ。黄色い四角形が見えている最初のほうが、空白を観察した2つ目よりも長く感じると一般的に言われている。
神経科学の専門家によると、体内で時間を司る器官やシステムは一つではない。実際、心理学者は私たちの時間の感覚に影響を与える多くの要因を特定している。その中のいくつかを使って、私たちが今年体感した時間に対する意識の高まりを説明してみよう。
<時間はどこへ行ってしまったのか?>
このテストでは、ある出来事の後に時間の長さを推定すること──心理学者が回想的判断と呼ぶもの──が求められる。
フィンランドのトゥルク大学で哲学を教えるValtteri Arstila氏によると、人間がこれを判断できるのは、最初に見た三角形をワーキングメモリ(作業記憶)に置いておくためだという。この方法は非常に短い時間の比較に有効だが、より長い時間を比べるには別のプロセスが必要だという。
新型コロナの感染拡大を防ぐため、外出が制限されていたころのことを思い出してみよう。その期間は短かったか、長かったか。
ニューヨークの場合、多く人が3月から在宅生活を始めた。同じ日々の繰り返しにもかかわらず、4月はあっという間に過ぎたと感じている人が多いようだ。
カリフォルニア大学サンディエゴ校のクレイグ・カレンダー教授(哲学)は、長期的な記憶から思い出した出来事に基づいてこの判断をしていると説明する。
「あらゆる重要な出来事を時計の刻みとして考えると、4月はそれほど多くの刻みがなかったため、時間が経つのがとても速く感じられた」。
<毎日の繰り返し>
表示されていた時間はいずれも同じだが、目新しいもの(この場合は四角形)はより長く感じられることが多い。
これを「オッド・ボール効果(Odd Ball Effect)」と言う。繰り返しが続く期間に私たちがどう対処しているのか──。トゥルク大学のArstila氏は2つの現象を指摘する。
第一に、私たちは繰り返し起きる事象については、すでに記憶しているため注意を払うことが少なくなり、より速く過ぎていくように感じられる。第二に、新しい事象が現れると、私たちの注意は新しい記憶を作ることに集中する。そのため、時間の流れが遅くなったように感じる。
Arstila氏によると、在宅期間があっという間だったと記憶してしまうのは、反復的な日々が続いたことが理由の一つとしてあるという。これと同じ効果が、リタイアした人たちが毎日あっという間に過ぎていくと感じるのと同じ理由だと、Arstila氏は説明する。
<注意と感情がいかに時間をゆがめるか>
注意と感情が時間の感覚にどう影響するか、多くの研究が行われてきた。実例を再現するのは難しいが、次のテストを試してみよう。
あなたは今、時間の間隔を推定した。3つの物体が同じ時間表示されたが、3番目の広がる円が時間的に長かったと感じる人が多い。
「注意を引くものや、より多くの注意を必要とするものは、ずっと長く感じる 」と、Arstilaは言う。
感情もまた、時間の認識に影響を与える。
「どのくらいの時間が経ったか推定するのは、そのときの気分とよく関係してくる。楽しい時間はあっとう間、悲しかったり、孤独であれば、時間が経つのは遅い」と、Arstilaは説明する。
忙しいと1日はすぐに過ぎるものだが、2020年は逆のことが起きた人たちもいる。例えば、最前線で働く医療従事者。自分たちが新型コロナウイルスにさらされるリスクが高いことを知っており、その結果として生じる不安が注意力を高め、一日がいかに速く過ぎているかという認識を鈍らせる。
一方で、ビデオ通話で友人と近況を報告し合ったり、夕食をするなど、楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。
<いつ起きた出来事だっただろう>
友人と最後に会ったのはいつだったか、ジムに行ったのはいつだったか。ここ最近の出来事と、昔の出来事の両方を思い出すと、時間の感覚は不思議なパターンでゆがむ。
誰かと最近会った約束を思い出し、それがどのくらい前だったか推定してみよう。そして、それが実際にいつ起こったかカレンダーを確認してみよう。あるいは、何の助けも借りず、次の出来事が起きた年を当ててみよう。
私たちは、知識よりも記憶に頼って、生涯のうちに起きた出来事の日付を決める傾向がある。しかし、記憶が時間の認識をゆがめるため、ある出来事がいつ起きたのかという感覚にも影響が出てくる。
心理学者の研究によると、昔の出来事を思い出そうとすると、それが起きたのはもっと最近のことだと考えるのが一般的だ。しかし、3年以内に起きたことについては、もっと以前の出来事だと考えることが多い。
これを「テレスコーピング」現象という。望遠鏡(テレスコープ)で拡大、あるいは縮小して見たときのように画像が歪む。
今年はトイレットペーパーが不足しがちだったが、最後に買ったのがいつだったか覚えているだろうか。記憶は時間とともに薄れていくものなので、思い出せないかもしれない。
パンデミックの年として2020年は当面忘れられることがないだろう。だが、何がいつ起きたかについて私たちが思い違いをする可能性は高い。
今年を振り返るときは、時間の錯覚に注意したほうがいい。

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