故郷離れ「孤立」の末に 第4部 発信なき SOS(3) 遺体の放置(上) 

買い物を終え帰宅する山本さん。「なるべく人と会いたくない」と、外出は夜が多い=6月11日、宇都宮市内

 昼すぎに目覚めると、母親の息がなかった。87歳だった。

 昨年8月。宇都宮市、無職山本真二(やまもとしんじ)さん(55)=仮名=は、ぼうぜんとしながらも頭によぎったことがある。

 「焼けないな」

 山本さんは誰にも連絡することなく、遺体を室内に放置した。

 母親とは約15年間、マンションの一室で2人で暮らしていた。収入は月7万円ほどの母親の年金のみで、火葬費用を捻出できないと思い込んだ。市内在住者であれば火葬場の使用料はかからないが、その事実も知らなかった。

 「冬までには死のうと思いながら、毎日ぼーっと暮らしていた」

 山本さんは東京都内で生まれた。両親と4歳離れた姉との4人暮らしで、高校卒業後は父親が営む燃料屋を手伝った。

 自ら事業を興し、仕事に励む父親は尊敬できる存在だった。姉とは時折けんかもしたが、「仲は良かった」と振り返る。

 ギターの演奏が趣味で、仲間と演奏することもあった。「地元になじんでいた。幸せだった」

 生活が一変するのは20代後半の頃。姉が婚約の破談をきっかけに精神的に不安定になり、入院する。退院後も自殺未遂を繰り返し、36歳で自ら命を絶った。

 嫁入り道具が相手の自宅から戻ってきた時の姉の顔は、今も忘れられない。「自分も一緒に心が病んでいくようで…。生きる気力がなくなっていった」

 姉の死後、一家は家業を廃業し、2000年に母親のふるさとの宇都宮市へと引っ越してきた。山本さんは反対したが、母親の強い希望だったという。

 自分だけでも都内に戻ろうと考えていたが、引っ越して5年ほどたった頃、父親が76歳で急死した。

 生まれ育った故郷から離れ、慕っていた父も失った山本さんは、ますます気分が落ち込むようになった。

 母親は山本さん同様、人付き合いを積極的にする性格ではなかった。数年前からは寝ている時間が増え、自分でうまく用を足すことができなくなった。

 それでも、介護に関して相談したり、病院へ連れて行ったりすることはなかった。山本さんは「疲れ果てて、もういいやって思っていた」と振り返る。

 母親の食事を用意し、排せつの世話をする。外出するのは買い物かパチンコ程度で、話し相手は母親のみという生活を続けた。

 生活費に困り工場で短期のアルバイトをしたこともある。しかし「人間が苦手」な性格で、継続的に働くことはなかった。

 母親は徐々に食が細くなっていった。

 亡くなる前日は食事も取らず、ずっと眠っていた。夜にはせきをしているのに気付いたが、山本さんは「体調が悪いのかな」としか考えなかった。

 事態が発覚したのは昨年9月。「異臭がする」と近隣住民が警察に通報した。

 山本さんは死体遺棄容疑で逮捕、起訴され、昨年11月に宇都宮地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 釈放されて自室に帰る。初めて経験する、一人きりの生活の始まりだった。

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