「独りぼっちになった」という現実がのしかかってきた。
87歳で亡くなった母親の遺体を自室に放置した宇都宮市、無職山本真二(やまもとしんじ)さん(55)=仮名。昨年11月に死体遺棄罪で執行猶予付きの有罪判決を受け、約2カ月ぶりにマンションの自室に帰っていた。
父と姉は既にこの世を去り、ずっと一緒だった家族は誰もいなくなった。「何のために生きているのか」。孤独感が募った。
生活はあっという間に困窮した。
釈放から2カ月ほどたった今年1月。手持ちの現金は1千円ほど、銀行口座には9円しか残っていなかった。
年末年始にかけて食事は5日に1回程度。ご飯にしょうゆやソースをかけて食べた。電気代やガス代が払えず「月末には止まってしまう」とうなだれた。
健康上の問題もあった。留置場では高血圧の薬をのんでいたが、釈放後は途絶えた。低額な料金や無料で受診できる「無料低額診療事業」という取り組みもある。しかし、事業に関する知識はなかった。
弁護士からは生活保護の受給を強く勧められたという。長期間就労しておらず、当面の生活を支えるための現実的な手段だと考えられたが、山本さんは行政に相談すらしていなかった。
「私なんかにもらえない」「生きていても仕方がない」-。後ろ向きな言葉ばかりが口をつく。皮肉なことに事件により一時的には社会とつながった。だが、再び孤立した。
◇ ◇
1月中旬、生活困窮者への食品支援を行う宇都宮市内のNPO法人フードバンクうつのみやを訪れた。山本さんの取材を続けていた記者の紹介だった。
「姉が自殺して、自信がなくなった」「死にたいと思ったけど、簡単には死ねない」。相談員の社会福祉士小澤勇治(おざわゆうじ)さん(63)に、今の思いをぽつぽつと伝えた。
小澤さんは「死ねないよね。そういうもんだ」と相づちを打ちながら、生活状況や健康状態を確認した。栄養失調の疑いがあり、コメやレトルトカレーなどの提供が決まった。
「生活保護を受けるしかないですか」。山本さんの問いに小澤さんがうなずくと、「迷惑を掛けたくない」とおえつして訴えた。
生活に困った際、自分で抱え込む人がいる。フードバンクでも、ぎりぎりまで我慢した末に相談へ訪れるケースは多いという。
「なんでここまで我慢するのかと感じる」。小澤さんは、SOSを出すことの難しさを実感する。
◇ ◇
1月下旬、山本さんは小澤さんの説得もあり、自ら生活保護を申請。受給が決まった。
制度を利用できた山本さんだが、社会とのつながりは薄いままだ。
小澤さんからフードバンクでのボランティアに誘われたが「やるほどの体力がない」と首を横に振る。精神的に不安定で、医療機関の受診も勧められたが、通院はしていない。
「母親がいるから生きてきた。おれの役目も終わりなんだよね」
これからどう生きていくのか、考えは定まっていない。