今、新型コロナウィルスの世界的流行で、対面で会話する機会が奪われている。そのため、些細な行き違いから、トラブルに発展することも多いだろう。

そこで、『「言葉」が暴走する時代の処世術』でコミュニケーション不全への対処法を論じた京大総長・山極寿一やまぎわ・じゅいち)氏と、『チョンキンマンションのボスは知っている』で香港に住むタンザニア人の商習慣を仔細に記録した立命館大学教授・小川さやか氏が対談。二人の共通点はアフリカだ。

共に京大で学び、アフリカに研究フィールドを求めた二人が、現地の人々との付き合いを通じて学んだ処世術とコミュニケーション法とは? その極意に迫る。

山極寿一氏(左)と小川さやか氏

■僕とすごく似ている。あえて悪い人と付き合うところとか(笑)

山極 小川さんの『チョンキンマンションのボスは知っている』、すごく面白かった。第51回大宅壮一ノンフィクション賞の候補作にも選ばれましたね。

小川 ありがとうございます。

山極 小川さんは僕といくつか似てるところがあって、一番は、「とりあえず悪い人と付き合う」ところだね(笑)。しかも、そんなやつをガイドにして、知らない世界に入っていくじゃないですか。

小川 別に意識して悪い人を選んでいるわけではないのですが......(笑)。

山極 もうひとつ似ているのが、言葉をきっちりマスターするところ。僕もコンゴのスワヒリ語をひと通りマスターしました。現地の人に、「お前、本当に日本人か?」とびっくりされるぐらいに。

小川 私は日本であまり勉強しなかったので、現地の路上で使われるスラングから覚えていきました。白状すると調査に行く前に文法をきちんと勉強していませんでした。

山極 その学び方も同じだね(笑)。僕も学生時代に指導教官から「アフリカに行くんだったら、スワヒリ語はしっかり勉強しておけ」と言われたけれど、結局何もしないまま行ってしまった。でも、実地で覚えていった。それでなんとかなるんです。

ところで小川さんは最初、自分でも古着を売りながら、現地ネットワークを持っている商人たちの中に入っていったでしょう。

小川 調査するなら、まず相手の中に入り込まなきゃと思ったんです。

山極 僕も、森をよく理解しているピグミーの案内役と、最初にじっくり話をしました。ゴリラを追いかけてジャングルに入るとなると、彼らを危険に巻き込む可能性もあるからね。

小川 私の対象はどう猛なゴリラじゃなくて人間ですけどね(笑)。

山極 とはいえ果敢に「向こう側」に入り込んでいる。文化人類学では通常はインフォーマント、つまり情報提供者を呼んで、その人から話を聞くでしょう。ただインフォーマント経由だと自分は「こちら側」に残ったままになる。だからあえて「向こう側」に乗り込み、相手と同じ古着商人という境遇に立つ。

■「向こう側」に入り込むから見えてくるもの

小川 人類学は参与観察が基本ですから、現地でそこに暮らす人と同じ生活をするのが原則です。ただ、どこまで入り込むかは、研究者によっても研究内容によっても違いがありますね。とても時間に几帳面で日本にいるときと同じようにスケジュール管理する先生もいらっしゃいました。

山極 サルの研究者にもそういう人がいたな。サルがどれほどおもしろい行動をしていても、昼12時になったら「はい、撤収、昼飯だ」みたいな。

小川 研究のためには健康維持が何より大切、だから生活リズムを守る。そんな信念もわからないではないけれど......。

山極 僕は、たぶん小川さんと一緒で相手任せですね。何しろ相手がゴリラだから、こっちはひたすらついていくしかない。それこそゴリラが寝るまで追っかけるから。

小川 そんなことしていると、その日のうちに帰れなくなったりしませんか。

山極 何度も野宿しましたよ。でも、そうやって「向こう側」に入り込んで「向こう側」の理屈に従いながら暮らさないと、わからないことがたくさんあるからね。「こちら側」から眺めているだけでは、パズルのピースがきちんとはまらないというか、ものごとをうまく理解できない。

小川 確か今西錦司先生(編集部注:日本の霊長類研究の創始者で京都大学名誉教授。山極氏の師匠筋に当たる)は「ゴリラの気持ちになって記録せい」と仰ってたそうですね。

山極 そもそも主観と客観にわけること自体、今西さんは好きじゃなかったからね。自分の身体を動かして「向こう側」に入る。これは単なるフィールドワークの「手法」ではなく「考え方」に関わる話なんですよ。

小川 途中で私は怖さも感じていました。現地の生活になじんでしまったときに、その世界の中に私の、つまり「こちら側」の論理を入れたりすると、私を組み込んだ社会そのものが壊れてしまうような気がしたんです。私は、ぎりぎりの土壇場になると自分ではなく彼らを信頼することにしていますが、実は「あっ、しまった」と思うこともあります。ただ、そういうときでも彼らを信じたことに後悔はないですね。私自身を信じるよりはきっとましだったのだと思います。

■「先生のことがめっちゃ好きやねん」という関係性

山極 小川さんのチョンキンマンションの話で印象に残っているのが、ボスのカラマさん。僕の付き合っていた連中と実によく似ている。とにかく、約束を絶対に守ってくれない。要するに仕事の概念が、我々とはまったく違うんだね。時給がいくらで、8時間働いたら、収入がこれぐらいになるといった考え方など一切通用しない。

小川 彼らは、時間を切り売りして暮らしてはいませんからね。

山極 そもそも自分の行動に責任を持たないでしょう。お金を払うのはこちらなのに「仕事だからお前と一緒にいてやったじゃないか、それ以上何を望むんだ」などと開き直られたりする。

小川 わかります、期待をするっと裏切られるような感覚は、人類学の醍醐味で思わず興味をを掻き立てられるので困ってしまいます。

山極 僕は朝、ゴリラが起きたときに、彼らが寝ていたベッドを調べなきゃならない。だから出発する時間を決めているんだけれど、まずその時間に来てくれた試しがない。遅れて来ては言い訳ばかりぐだぐだ言う。そうかと思えば、またある時は一晩中でも手伝ってくれる。

小川 私が調査助手を雇うときも、相手は「契約」などといった考え方はまったくしていない。山極先生が付き合われてきた人たちも、「先生のことがめっちゃ好きやねん、だからつきやってやるか」みたいな感じではないでしょうか。気が乗ったら、夜通し付き合ってくれる。

山極 そう言えば、雇ったはずの相手が来なくて、その息子が来たこともあったな(笑)。だったら、その日の給料は息子に払うのかというと、そうじゃない。自分が行けなかったから、代わりに息子に行かせる。それで自分が行ったことになるから、給料は自分がもらうんだと。

小川 チョンキンマンションでも同じですね。お客さんを案内するはずだった商人がいないときは、誰かが代わりに案内する。けれども案内賃は、代理で案内した人ではなく、約束をすっぽかした商人に入る。

山極 個人が溶けちゃってる感覚があるね。我々のように個人単位で世界が動いているのではなく、ぼんやりとした仲間意識のようなものがあって、その中で何ごとも動いているような感覚。

小川 基本は何ごとも「ついで」なんですね。ちゃんと謝金を払っている調査助手の私に対する接し方からも「ついで」感がぷんぷん漂ってきます。あれ!? 雇ってるの私じゃなかったっけ、みたいな(笑)。私が彼らの用事に付き合わされているじゃないかと感じる時も多々ありますが、それほど気兼ねはしなくていいようにしてくれているのかなとも思います。

山極 我々のような経済社会の感覚からすれば、すごくいい加減で無責任極まりないんだけれど、彼らの社会では不思議なことにそれでつじつまが合ってしまう。お互いがつながり合っているから、どこかで戻ってくる感覚があるんですよ。だから、困ったときには誰かが助けてくれる。

小川さんの本にあった葬式の話が典型的だと思うんだけど、異郷の地・香港で死んだタンザニア人の葬式を、故郷でやってあげるためにみんながお金を出し合ってあげるでしょう。それも全員が一律に出すのではなく、各自ができる限りのことをする。みんなが緩やかにつながっているから、逆に助け合いの輪が広がる。

小川 もちろん、ときには期待に応えられないこともあるわけだけれど、そういう事態も織り込み済みのゆるいつながりなんですよね。

山極 だから、我々の感覚からすれば、びっくりするようなことがあるよね。誰かにとんでもなくひどい仕打ちをしていながら、平気な顔をしてその相手のところに帰ってきたりする。だからといって、過去を水に流した、というわけでもない。

小川 確かに流してない(笑)。ただ、そんな相手でも、別の局面では信頼できるかもしれないと思っていたりする。

山極 完全に信頼しきったりしないから、裏切られても平気で付き合っていける。

小川 人生は山あり谷ありだし、たった一回の裏切りぐらいで、相手のすべてがわかるはずがないじゃないかと。そんな感覚なんでしょうね。

アフリカの人たちって時として追い詰められた人を笑うじゃないですか。それもくったくない感じで。窮地に立たされたときに、何かごまかしたり人を裏切ったりしても、それをその人を構成するすべてだとは捉えない。だから、窮地の可笑しさやバカバカしさを笑い飛ばしても、陥った人自体を笑っているわけじゃない。そんな印象があります。

※対談の【後編】はコチラ

山極寿一(やまぎわ・じゅいち)京都大学総長。霊長類学者・人類学者。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程修了。アフリカ・ルワンダのカリソケ研究センター研究員、日本モンキーセンター、京都大学霊長類研究所、同大学院理学研究科助教授を経て同研究科教授。近著に『未来のルーシー』(中沢新一氏との共著)がある。

小川さやか(おがわさやか)立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。著書に『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)、『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)などがある。