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元阪神・横田慎太郎氏、脳腫瘍からの再出発

ファンミーティングに出席した横田慎太郎氏(右はスポーツニッポンの遠藤記者)ⒸSPAIA
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1月25日、ファンミーティングに出席

昨シーズン限りで現役引退した元阪神の横田慎太郎氏が1月25日、大阪・難波のスポーツバーで開かれたファンミーティングに出席した。会場に詰め掛けたファンと笑いあり、涙ありの濃密な3時間を過ごし、第二の人生のスタートを切った。

横田氏のファンミーティングは2回目の開催。1月12日の1回目のチケットが約10分で完売し、購入できなかったファンのために急遽2回目が開催された。

会場は女性ファンを中心とした約150人の熱気が充満。見慣れたタテジマのユニフォームではなく私服姿の主役が登場すると、大歓声が沸き起こった。

イベントでは、大型スクリーンに現役時代の写真や映像が映し出され、それに合わせて様々なエピソードを披露した。鹿児島実からドラフト2位でプロ入りして3年目の2016年に初めて開幕スタメンを果たした際は「当日の試合前練習が始まる前に、ホワイトボードに書いてあるのを見て知りました。すごく緊張した」と苦笑い。プロに入って最も驚いたことを問われると「菅野さんのスライダーと千賀さんのフォークとサファテのストレート。何もできなかった」と明かした。

引退試合で「奇跡のバックホーム」

横田氏はロッテなどで活躍した横田真之氏を父に持ち、身長187センチの恵まれた体格で俊足強打の外野手として将来を嘱望されていた。2016年には1軍で38試合に出場するなど成長の跡を示して期待されたが、2017年に脳腫瘍が発覚。1軍復帰を果たせないままユニフォームを脱いだ。

当時について「(2016年の)12月頃から頭痛がひどかった。宜野座キャンプ中に脳腫瘍と分かりました」と振り返り、入院中は「もう野球は無理かなと思ったけど、手紙や千羽鶴をたくさんいただいて勇気をもらった」と回想。「試合に出てファンに恩返しする」という目標を胸にリハビリに励んだ。

しかし、視力が回復せず、プロの世界に導いてくれた田中秀太スカウトらに相談して引退を決意。迎えた2019年9月26日。ウエスタン・リーグのソフトバンク戦が引退試合として用意され、8回の守備からセンターに入った。2死二塁から相手打者が放ったセンター前ヒットの打球を前進してつかむと、本塁へ矢のような送球。三塁を回った走者を間一髪でアウトにした。

「開幕スタメンも嬉しかったけど、病気になってからの3年間は本当に中身が濃かった。目標を持って自分に負けずにコツコツ努力していれば必ず結果は出る。それがあのバックホームにつながった。病気で苦しんでいる方も、決して逃げずに頑張ってほしい」

引退後、球団からタイガースアカデミーのコーチ就任の打診もあったが、「野球と違う形で勇気を与えたい」と辞退。すでに郷里の鹿児島に戻っており、今後は講演活動などで自身の経験を伝えていくという。

今後は講演活動を通して経験伝える

イベント終了後の控え室。例年ならキャンプを控える時期だけに「野球をしたくなることはないか?」と尋ねた。「野球をしたい気持ちは全くない」とキッパリ答えた24歳は、「でも、太るのは嫌なんで毎日30~40分走ってます」と細い目をさらに細めた。

決して口達者ではない。朴訥な語り口は、もしかしたら講演には不向きかも知れない。ただ、苦難を乗り越えた経験と、聴くものを惹きつける魅力や人間性が、横田氏には備わっている。第二の人生が幸多いことを祈りたい。

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