朝乃山、衰弱する恩師のため幕下優勝決めるも…

[ 2020年3月25日 07:00 ]

会見で記者の質問に答える朝乃山
Photo By スポニチ

 【新大関・朝乃山独白「一生懸命」(中)】中学で挫折した時に(富山商の)浦山先生に声をかけてもらわなかったら今、何をしているか想像がつかない。「高砂部屋に行け」と言われた時も「はい」と二つ返事。その前に自分から「富山で就職してアマで相撲がしたいです」と相談したが、「おまえは駄目だ」と却下された。16年春場所でデビューしてからは負けるとLINEがきた。次の夏場所は同じ近大出の池川(幕下・北勝陽)が序の口、玉木(十両・朝玉勢)が序二段で優勝。僕も三段目で6連勝していたが最後負けた。先生からLINEがきていた。「おまえらしいな」と。

 17年初場所は幕下7枚目で、新十両が狙える位置にいた。本場所前に帰省して先生に会いに行ったが、もう長くないと知った。先生は入院していたけど、病院から許可をもらって一時帰宅してくれた。しかし、衰弱して布団から出てこられなかった。5分ぐらい話をしたら「もう帰っていいよ」と言われた。分かりましたと。家に帰ると先生の奥さんからLINEが入っていた。「先生もあんな姿見せたくないけど、意地張っていたから病院から戻ってきたの。気にしなくていいよ」。絶対にその場所で十両を決めようと思った。

 初場所13日目で幕下優勝を決めて部屋に戻り、先生に電話で報告しようとした。だけど、電話に出ない。えっ?て。奥さんに電話しても出ない。えっ?て。そしたら、次の日の朝稽古に近大の伊東勝人監督が来ていた。何の前触れもなく急だったので驚いた。稽古が終わり「おかげさんで優勝できました」と初場所の報告をしたら、「(浦山)英樹のことなんやけど」と。ちょっと間があって「亡くなった」と告げられた。そこで初めて先生が死んだと知り、ショックを受けた。

 千秋楽が終わり、パーティーも済んだ時ぐらいに高校の先輩から電話がかかってきた。みんなを代表して弔辞を読んでほしいというお願いだった。もちろん、引き受けた。翌日が葬式だったから朝一の新幹線に乗り込み地元に帰った。(朝乃山 英樹)

続きを表示

この記事のフォト

2020年3月25日のニュース