英語教育どうなるの?〈考える広場〉

越智俊至、大森雅弥、谷岡聖史 (2018年5月5日付 東京新聞朝刊)
 日本の英語教育が変わる。国の英語教育改革で、体験型学習が小学校3年生からスタート、小5からは正式な教科に。国際人育成が狙いだが、批判もある。どんな英語教育がいいのか。こどもの日に考える。

タレント パックンさん 大切なスキルの一つ

写真 パックンさん

 小学校3年生から英語教育を始めることには賛成です。日本は教育大国で、国際的な学力調査では常に上位に入ります。ところが、国語や算数の教育レベルに比べると、英語は求める水準が甘い。「九九」は2年生で習うのに、英語は5年生でやっとアルファベットを覚えます。遅いなと思っていました。

 心配されているのは、国語も十分に学んでいないうちに英語を学ぶと国語の能力が下がるのではないかという点です。僕はそうは思いません。3年生ならもう日本語の脳になっています。英語のスタートが早ければ、英語脳に近いものもできます。でも、それは一部であって、日本語の能力が損なわれることはないと思います。

 もう一つの不安材料として指摘されるのは、英語を教える態勢が整っていないということです。心配はいりません。小学校では例えば体育も担任の先生が教えます。先生は五輪選手ではないけど、小学生よりはサッカーができます。同じように、大人は皆、小学生よりは英語ができるんです。完璧な発音とか気にしなくていい。音声データやDVDなど教材は山ほどありますから。

 中学校の英語の授業を全部英語でするのは、すぐには難しいのでは。小学校1年生から英語教育を始めればできるようになるはずですが、実施までの助走期間が3年だけでは難しいと思います。先生の負担が重すぎるし、文法の基礎を学ぶには日本語の授業を聞く方が分かりやすい。僕も最初は英語で書かれた本で日本語を勉強しました。

 日本語の勉強は、来日する飛行機に乗ったときから始めました。ひらがなとカタカナを飛行機の中で暗記したんです。すると、成田空港に着いたとき「おかえりなさい」と書いてあるのが読めました。意味は分からなかったけど、読めたことがうれしかったですね。

 国際人になるために、英語ができなきゃ駄目とは思っていません。海外から来た人を日本語だけで完璧におもてなしする人もいます。また、英語ができるからといって国際人になれるという保証はない。大事なのは世界に通用する何かを持つこと。技術や技能、美的センス、発信力…。幅広いスキルを持つことが重要だと思います。英語もスキルの一つです。一つにすぎないとも言えますが、大事な一つです。

ぱっくん

 1970年生まれ、米国コロラド州出身。ハーバード大卒。97年、お笑いコンビ「パックンマックン」を結成。東京工業大非常勤講師としてコミュニケーションや国際関係を教えている。

岐阜女子大学長 松川礼子さん 楽しむことから上へ

写真 松川礼子さん

 小学校での英語の教科化は大転換に見えるかもしれませんが、実は小学校の英語が検討されてからもう30年、「やっとここまで」と感じます。10年刻みで、研究開発校での取り組み、「総合的な学習の時間」を利用した外国語会話、高学年での外国語活動必修と、中学英語とは違う形での実践を積み重ねてきました。その成果の上で、見えてきた課題を高学年の教科化で解決しようという狙いです。

 教科化のポイントは英語の読み書きの導入です。外国語活動では、ゲームや体験を通じて英語に親しむことが行われていますが、それだけでは高学年の知的好奇心には応えられない。文字の導入は必然だと思います。JackとBettyがどうしたという自分と関係ない話を読むのではなく、自分が聞いたこと、話したことを文字にする形で学びます。中学での英語嫌いも防げるかもしれません。

 ただ、教科化のための条件整備は不十分な状態です。ほかの教科と同じく学級担任が教えることになりますが、新たな研修が必要など負担が大きい。もともと小学校は中高と比べ、教員の数が少ない。英語以外に既に道徳が教科化され、プログラミングも必修化される。教員定数を早急に増やすべきです。また、小学校は全科担任制ですが、高学年に関しては英語だけでなく教科担任制、教科別免許を導入した方がいい。

 教科化で英語がしゃべれるようになると期待する人がいるかもしれませんが、生涯にわたって勉強しないと英語の達人にはなれません。学校教育は、その学びの基礎をつくるところと考えてほしい。その意味で大学入試への民間試験の導入には疑問を感じます。スピーキング能力の強化が狙いですが、選抜の道具として適切かどうか。日本のように日常生活で英語を使う環境にない国で、効率よく英語を教えるには文法が一番です。

 目指すべきは、グローバルスタンダードという、テストで測る「正しい英語」ではなく、各自が自分のできる範囲で英語に親しみ、英語で表現する「私にとっての英語」です。経済界の人たちは、「正しい英語」を使える人を育てるために小中高大の各段階でここまで達成しろという「上から下に下ろす」発想ですが、私は「私にとっての英語」を土台に小中高大と「下から上に広げる」べきだと考えます。

まつかわ・れいこ

 1948年、長野県生まれ。専門はカリキュラム研究、英語教育。岐阜大名誉教授。今年3月末まで岐阜県教育長。著書に『明日の小学校英語教育を拓(ひら)く』など。

立教大名誉教授 鳥飼玖美子さん 異文化理解の視点で

写真 鳥飼玖美子さん

 「改革」の影響で、政府も予期しなかった事態が起きています。親は「小学校入学前に始めないと」と焦り、英語を教える幼稚園が人気です。中学入試にも英語が出題される。大学は「就職のためにTOEICだ」と、学生を対策講座に通わせ、得点が上がると報奨金を与える。

 子どもたちは人間形成に大事な時期、ずっと英語に追い立てられています。英語嫌いの子が増えるのは当たり前です。

 ノーベル物理学賞の益川敏英さんのように英語は苦手だけど理科が得意とか、小説家になりたいから本ばかり読むとか、好きなことだけ追究することは許されなくなる。でも、英語ができて自慢になるのは日本国内だけです。世界では「それで、あなたは何ができるの?」と聞かれます。科学もスポーツも文化も大事。日本は漫画やアニメでも注目されています。一律に「英語をやれ」ではなく、多様な人間を育てるべきなんです。

 政府は30年も「改革」をやっているのに、中高生の英語力はさっぱり上がりません。「中学3年で英検3級程度が50%」などの目標は未達成です。

 ただ、その程度の英語力ならAI(人工知能)でも対応できます。人間しかできないのは、翻訳や通訳など言葉の裏の真意をくみ取ること。専門家に必要な英語力は日常会話レベルよりはるかに高度です。また、民間試験で英語力を数値化できると思われがちですが、特に話す力は試験官や採点基準で結果が変わり、絶対的ではありません。

 政府の「グローバル人材」とは経済界が望む「企業戦士」のこと。でも、本当に英語が必要な国民はせいぜい10%、多くて30%程度と言われています。物や情報、人の移動のグローバル化で「英語が必要」と思う人は多いですが、米国のトランプ大統領の当選や英国のEU(欧州連合)離脱など、逆向きの動きもあります。先が見通せない時代、確かなのは、多文化共生が欠かせなくなることです。

 国際共通語としての英語を学ぶ大きな目的は異文化コミュニケーションです。言語や文化の異なる人々とコミュニケーションを取ることで「人間は違いがあるから面白い」と気付きます。違いに寛容になれば、誤解を解くコミュニケーションが始まります。英語が不要とは思いませんが、押し付けの弊害は大きい。成績に一喜一憂せず、長い目で子どもを見守るべきです。

とりかい・くみこ 

東京都生まれ。上智大在学中から同時通訳者として活躍し、現在は言語コミュニケーション研究者。英国サウサンプトン大で博士号。著書に『英語教育の危機』など。

英語教育改革とは

1986年、政治主導で設置された臨時教育審議会が、従来の英語教育を「非効率で改善が必要」と指摘したのが始まり。以後、英会話の重視や小学5年生からの「外国語活動」(体験型学習)などの施策を続け、2012年には「グローバル人材育成戦略」を発表した。今後は、20年度に外国語活動が小学3年生から、英語の教科化が小学5年生からに前倒しされ、大学入試でTOEICなどの外部試験を導入。21年度からは中学校の英語授業を「英語で行うことが基本」となる。

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