歌手 島津悦子さん 半身不随になった彼のプロポーズ 一度は断って…からの大号泣

草間俊介 (2020年10月18日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

写真

(木口慎子撮影)

社員旅行のバスに乗せてもらった縁

 金沢市に住み、夫(72)の介護と、歌手活動の2本立ての生活を送っています。

 出会いは1986年春でした。当時は静岡県を拠点に活動する地域の歌手でした。売り込みのため、観光バスに飛び込み営業をしていました。例えば沼津市のドライブインで待ち構え、静岡市まで乗せてもらって歌い、レコードを売るというやり方です。

 ある日、金沢市にある会社の社員旅行のバスに乗せてもらった際、約70人全員に会社が1枚ずつ買ってくれました。ありがたくて、名刺交換した責任者が彼でした。体格のよい、貫禄のある、しっかりとした印象でした。

 メジャーデビュー後、営業先の金沢を車で移動中、後ろからクラクションが鳴りました。見ると彼が手を振っていました。「覚えていてくれたんだ」とうれしかったです。

「好きだけど、夢を追いかけたい」

 日本有線大賞有線音楽賞を受賞、金沢のテレビに出演が決まりました。宣伝してもらおうと、彼の会社に電話し、伝言を頼みました。テレビ局のスタジオには豪華な花束がデーンと。びっくりです。彼が「受賞のお祝い」と贈ってくれたのです。

 金沢へ行く際は、彼や会社の皆さんと食事をするようになり、いつしか交際が始まって求婚されました。でも「結婚=引退」と考え、応じませんでした。

 2002年5月、彼から電話があり「脳内出血を起こし、今、救急車を呼んだ…」。命は取り留めたものの右半身不随になりました。約1カ月後に見舞いに行った時、病床の彼に改めて求婚されました。

 「あなたのことは好きだけど、夢を追いかけたい」と断ると、「誰が歌手をやめろと言った。オレは大丈夫だ。夢を追いかけろ」。婚姻届を取り出し「署名してくれ」と。涙が浮かび、頬を伝わり、いつしか大号泣に。迷いを吹っ切り署名しました。病室にいた彼の両親や会社の人は大喜びで盛り上がりました。今思うと、号泣の結婚なんて、おかしいですね。

夫婦でリハビリ 気がつけば18年

 金沢での結婚生活が始まりました。夫は自力で食事を取れますが、着替えを手伝ったり、入浴の世話をしたり。夫婦でリハビリに励み、自宅ではつえがあれば歩けるようになりました。外出時は、私が車椅子を押すことも。

 歌手活動は、「大丈夫」の言葉の通り、続けられています。北陸新幹線の金沢開通後は都内での仕事も楽にこなせるようになりました。

 気がついたら結婚から18年。仕事の第一線を退いた夫と毎日の生活を楽しんでいます。昨年は韓国へ旅行にも行けました。今も夫は「夢を追いかけて」と言ってくれ、大きな愛に包まれている感じがして、とても幸せです。

島津悦子(しまづ・えつこ) 

 1961年鹿児島県生まれ。1988年「しのび宿」でメジャーデビュー。1991年「紙の舟」で日本有線大賞有線音楽賞を受賞。最新曲は「俺と生きような」。来年4月、都内で芝居と歌謡ショーを開催する予定。金沢市在住、石川県の観光大使を務める。スケジュールなどは公式サイトで公開している。

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