【赤坂英一 赤ペン!!】やはり、ドラフトは12球団首脳が一堂に会してやってこそである。アマの有望選手がクジ引きで運命を決められる“ショー”は他のスポーツでは見られない。これはプロ野球の人気を支えている重要な恒例行事なのだ。

 今季大活躍した選手のドラフトでは、巨人・菅野(東海大)が一浪を余儀なくされた2011年が印象深い。原監督のおいであるため、巨人の単独1位指名は確実とみられたが、日本ハムも競合指名に踏み切った。清武球団代表(当時)がクジを外すと、原監督は待機していた会場の席でしばしぼうぜん。直後に予定されていた会見にもなかなか現れず、広報部長が「話し合いに時間がかかって会見に応じられないかも」と説明し、報道陣からクレームがつく一幕もあった。

 その原監督が初めてドラフトに臨んだのは就任直後の01年オフで、寺原隼人(日南学園)を3球団と競合してクジを外してしまった。会見場に現れたときは両目が真っ赤で「僕は興奮すると目が赤くなるものですから」とコメントしている。その後のクジ運も振るわず、今回も近大・佐藤を外して現在まで1勝11敗と散々だ。

 原監督自身は東海大4年時の1980年、4球団が競合し、藤田監督が当たりクジを引いた。その瞬間の心境を聞くと、こう話している。

「当時、ドキドキしたのはクジ引きの瞬間だけ。俺は巨人に行くもんだと思ってたからね。藤田さんがクジを持った手を上げてくれたときは、ああ、やっぱりな、と思ったよ。そういうことになってるんだよな、と」

 藤田監督が言うには、「クジの箱に手を入れたら、底にあった封筒に触れたあと、横に立っている封筒に触れて、横のほうを取った」。この発言が「巨人が原を取れるよう、球界関係者の誰かが横の封筒に当たりクジを入れ、藤田監督に教えたのでは」という妙なウワサの火種になった。

 今季で阪神を戦力外になるとみられる福留はPL学園3年時の95年、巨人を含む7球団に1位指名された。当たりクジを引いた近鉄・佐々木恭介監督が、思わず「よっしゃー!」と叫んだら大ウケ。テレビインタビューのたび「よっしゃー!」をリクエストされていたものである。

 そんな出来事が語り草になるのも、ドラフトがホテルの大会場で行われてこそ。来年の今ごろは新型コロナ禍が終息していることを切に願う。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。