新型コロナウイルスに感染し重度の肺炎と診断され、東京都内の病院に入院していたザ・ドリフターズの志村けんさんが新型肺炎のため同病院で死去したことが30日、分かった。亡くなったのは29日午後11時10分。70歳だった。もともと肺疾患など持病を抱えており、症状は「今も楽観はできない」「現在は回復に向かっている」など情報が錯綜していたが、発症からわずか10日あまりで帰らぬ人となった。遺族の意向により、通夜および葬儀等は近親者のみで営まれる。

 恐れていた事態が現実のものとなった。「8時だョ!全員集合」(TBS系)や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)など数々のコント番組で爆笑の渦を巻き起こしてきた“お笑い界の重鎮”が新型コロナウイルス感染で天国に旅立ってしまった。

 志村さんは17日に倦怠感を訴えて自宅で静養していたが、19日に発熱と呼吸困難の症状が出始めたため、20日に訪問診察を受けたところ重度の肺炎と診断され、都内の病院に緊急入院。入院の際に新型コロナウイルスの検査を受け、23日に陽性と分かった。

 25日にその事実が発表されると、芸能人仲間やファンから続々と激励の声が寄せられた。懸命に闘病していた中、撮影に参加したNHK連続テレビ小説「エール」の放送スタートの前夜に命の火が消えた。

 感染公表後は心配する声が多かった。今年1月には胃のポリープが見つかって緊急入院。内視鏡手術で切除したものの免疫力の低下は避けられなかった。加えて「もともと大酒飲みでたばこもかなり吸う人」(テレビ関係者)。一部では入院直後に肺疾患など持病の症状が出て重症化の有無を巡って情報が錯綜していた。

 院内では人工心肺装置「体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)」を使用した治療を開始。これは心臓と肺の役割を同時に果たす装置で志村さんの肺を休ませて自身の回復を待つ、という新型コロナウイルス患者を救命する“切り札”でもあった。そして26日には所属事務所のイザワオフィスが志村さんの初の主演映画「キネマの神様」(山田洋次監督)の出演を辞退すると発表していた。

 大物タレントだった志村さんの死の衝撃度は大きい。芸能界からは志村さんのレギュラー番組「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)で共演してきた「ダチョウ倶楽部」がツイッターで「早く元気になってお仕事御一緒させて戴きたいです」などエールを展開。同番組で家老役を演じるタレント桑野信義(62)も「心配でなりませんが絶対に乗り切れます 殿!踏ん張ってくださいよ!」など数回にわたってブログで猛ゲキを飛ばし、他にも志村さんに憧れて芸能界入りした若手らも多くの励ましを送ったが、届かなかった。

 志村さんは1950年、東京都東村山市で小学校教諭だった父・憲司さんの三男として誕生した。大卒で公務員になった2人の兄とは対照的に68年、高校卒業前にいかりや長介(故人)の家に直接押しかけて弟子入りを志願。付き人を経て74年、荒井注(故人)が脱退したことで正式にザ・ドリフターズのメンバーとなった。お笑いスターの転機となったのは2年後の76年、当時の人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」の一部コーナーで「東村山音頭」を歌ったことで一躍人気を得た。

 85年に同番組が終了して翌86年から自身がメインの冠番組「志村けんの失礼しまぁーす!」(日本テレビ系)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」がスタート。そして現在も続く「志村けんのバカ殿様」などで不動の人気を博していった。「変なおじさん」に代表される独自のコントスタイルはウッチャンナンチャンの内村光良(55)らにも受け継がれている。酒、たばこだけでなく女性関係も豊富で、多くの女性タレントと浮名を流す一方、独身を貫いた。

 訃報は30日午前、テレビ各局が次々と報じた。フジテレビ系「ノンストップ!」に生出演していたタレントの坂下千里子は「本当にびっくりで、すごい動揺しています」と語った。