【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(13)】今から32年前、一人の日本人が黄金の輝きを放った。現在、行政機関のトップに立つスポーツ庁・鈴木大地長官(53)は1988年ソウル五輪の競泳男子100メートル背泳ぎで金メダル。世界を驚がくさせたバサロ泳法で日本中を熱狂させたが、同時に大きな重圧を背負うことになった。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では金メダルの「その後」にフォーカス。人知れぬ苦悩の日々を激白した鈴木氏は、あの芸人が第2の人生設計に影響を与えたことも明かした。

「鈴木大地、追ってきた! 逆転か? 勝ったぁ!」

 88年9月24日、白熱の実況とともに、日本列島は歓喜に包まれた。

 競泳男子100メートル背泳ぎ決勝。前日の予選で世界記録を出したデビッド・バーコフ(米国)に対し、スタートから水中を潜って進む伝家の宝刀・バサロ泳法を約5メートル延長する秘策が奏功し、猛烈な追い込みで大逆転。日本記録を0秒27更新する55秒05で、日本競泳界16年ぶりとなる金メダルを獲得した。

 あれから32年、黄金の足を持つ男はパリッとしたスーツで身を包み、スポーツ界の発展に尽力している。2015年に初代スポーツ庁長官に就任。「今、全力で泳いだらふくらはぎをつっちゃう。タイム? たぶん倍くらいかかるでしょうね」。そのさわやかな笑顔と白い歯は当時のままだ。

 大偉業の2日後、本紙スポーツ面には「鈴木大地に五輪V2指令」の見出しが躍った。順大の鈴木陽二監督(当時)が早くもバルセロナ五輪での連覇に言及したことを報じているが、その紙面を見ながら鈴木氏は「葛藤や迷いがあったんですよ」と漏らした。

「一生のうちでこんなつらいトレーニングはソウルの決勝の日までだと思って頑張ってきました。(周囲から)もう1回って言われ、人生の計画も狂って…。ああ、やらなきゃいけないなーって」

 金メダルで有終の美を飾るはずが、街を歩けば「金メダリスト」と注目を浴び、必然的に「バルセロナでも金」のムードに包まれた。日本全体から発せられた「V2指令」。鈴木氏の苦悩の日々は続いた。

「当時はプロがなかったし、自分から水泳を取ったら何が残るのか? 生活もあるし、将来のなりわいを見つけ、早く第2の人生をスタートさせたい。そんな気持ちの中で時間が過ぎていきました」

 悶々として約5か月が経過。順大4年生で卒業間近だった89年2月、思わぬ形で「決断の時」が訪れた。教員免許を取るため母校・市立船橋高(千葉)で教育実習を行っていた鈴木氏は、最終日のホームルームで生徒からプレゼントをもらった。

「数百円ずつ出し合ってバスタオルをくれたんです。よく見たら後ろに刺しゅうがしてあって『バルセロナでもう一度』って書いてある(笑い)。頑張らなきゃいけないって思い、もう1回挑戦しようって決断しました」

 この運命のメッセージを送った生徒たちの中に、当時サッカー部に所属していたお笑いコンビ・ペナルティのワッキー(48)がいた。鈴木氏は「ワッキーいわく、プレゼントを主導したのは本人とのことです」と証言。バルセロナに向かわせた原動力が市船6年後輩の人気芸人だったとは驚きだ。

 結局、トレーニング不足なども響き、バルセロナ五輪直前の92年4月に引退。「出てもメダルは取れそうにない調子でしたし、いい潮時だと思って」。選考会にも出場せず、潔く身を引いた。

 6月上旬、ワッキーは初期の中咽頭がんと診断されたことを公表。現在、治療のため休養している。自身の人生にいくばくかの影響を与えた後輩に対し、鈴木氏は「市船魂で乗り越えていただきたい」とメッセージを送った。

 31年の時を経て、今度はこの言葉がワッキーに力を与えるはずだ。

【〝爪の差〟伝説の真相】大逆転Vの裏には伝説がいくつも存在する。その一つが「バサロ」だ。予選より水中でのキックの回数を増やし、王者・バーコフより長く潜って動揺させる戦術は今でも語り草。さらに、当日の「爪の長さ」の話も有名だ。接戦になることを見越した鈴木氏は、少しでも早くゴール板に到達するために爪を3センチ伸ばし、それが奏功してタッチの差で勝利――。こんな逸話が残されているが、鈴木氏は「ちょっとガセネタですね」と笑いつつ、真実を教えてくれた。

「確かに爪を伸ばしていましたが、爪って3センチも伸びない。5ミリくらいで割れてくるんですよ。そうすると水着に引っ掛けて傷つけるので、最終的にはレースの前に切らなきゃいけなくて」

 実際のところ、ソウル五輪の決勝時は「最も短い状態だった」という。大逆転シーンのインパクトがあまりに強かったため伝説が独り歩きしたが、実際には「爪の差」ではなく「執念の差」だったようだ。


【ワッキーから感謝の返事】鈴木氏をバルセロナに向かわせたワッキーは6月上旬、初期の中咽頭がん(ステージ1)の診断を受けた。現在、芸能活動を一時中断して療養中。たくさんの芸人仲間から激励を受け、復帰を目指している。そんな中、鈴木氏との思い出を本紙にたっぷり語ってくれた。

 国民のヒーロー・鈴木大地が教育実習で学校に来るって聞いた時、とても心がワクワクしたのを覚えています。しかも僕のクラスの担当だったので、毎日、目の前でヒーローを見ることができました。覚えているのは、とにかく大地さんが自然体だったこと。だから3日目くらいから普通の兄ちゃんみたいに接していました。

 そんなみんなの兄ちゃんに、もう1回金メダルを取ってもらいたくてタオルに「バルセロナでもう一度」というメッセージを込めました。そのことを覚えてていただいて本当にうれしいです。

 僕は今、病と闘っています。鈴木長官から「市船魂で乗り越えろ!」というお言葉をいただきました。本当に励みになりました。この魂を胸に必ず乗り越えてみせます。(お笑いコンビ「ペナルティ」ワッキー)

☆すずき・だいち 1967年3月10日生まれ。千葉・習志野市出身。小学2年生から水泳を始める。84年ロサンゼルス五輪出場。88年ソウル五輪競泳男子100メートル背泳ぎでバサロ泳法を武器に金メダルを獲得した。92年4月、25歳で引退。順天堂大教授、日本水泳連盟会長などを経て2015年に初代スポーツ庁長官に就任した。