【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(3)】目の前の壁を打ち破る! パラ卓球の垣田斉明(35=八代市役所)が悲願のパラリンピック出場を目指している。4年前の熊本地震、今年の新型コロナウイルスなど多くの災難に見舞われても、いちずに夢を追いかける男の熱い思いとは――。 

 パラ卓球と出会ってから約17年。引退が頭をよぎったこともあるが、桃代夫人の「次が東京開催だったらもう一回やらないとね」という言葉が心を突き動かした。「東京大会で終わるつもり」と退路を断ち、すべてを懸けていたからこそ東京パラリンピック延期の一報を夫人と聞いた瞬間は「正直なところ、がっくりきましたね」と動揺を隠せなかった。それでも今は「できることをやるだけ」と前を向く。

 なぜなら自らの手で何度も大きな壁を乗り越えてきたからだ。垣田は中学1年で卓球を始めた。生まれつき右手が自由に動かなかったことから当初は悪戦苦闘の日々。その姿を見た恩師の「人と同じ量の練習をしてもダメだから2倍やってやっと同じくらいで3倍やれば勝てるようになる」との助言を胸に刻み、猛練習に励んだ。その結果、好成績をマークするようになり、パラ卓球転向後は日本一にも輝いた。

 社会人になってからは挑戦した世界の舞台では満足な結果を残せず、2008年北京、12年ロンドン大会の出場を逃した。さらに16年リオデジャネイロ大会の出場もあと一歩のところでかなわなかった。そんな時、震度7を初めて2度記録した熊本地震が起きた。
「毎日生きるのに必死だった」と卓球どころではない日々を過ごした。

 しかし、東京大会出場へ向けて「もうこのままじゃダメだ」と17年から3度、卓球の本場・中国へ“武者修行”。トップ選手の実力を肌で実感し「毎日どうやったら勝てるかを考えていた」と競技に没頭した。日本肢体不自由者卓球協会の強化体制が整ったこともあり、18、19年の国際大会で優勝を果たし、初のパラリンピック出場が現実味を帯びてきた。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、5月の世界最終予選も来年へスライド。いまだに練習すら満足にできない状況が続いても「公園や外で走ったりしている」と気持ちは折れていない。「東京大会で金メダルが欲しい」と意気込むベテランは逆境を力に変え、夢舞台で満開の花を咲かせてみせる。 

 ☆かきた・なりあき 1984年6月14日生まれ。熊本県出身。右肩から指先にかけて麻痺を患いながらも中学から卓球を始めた。熊本学園大入学後にパラ卓球へ転向し、2006年に日本障害者卓球選手権シングルスで初優勝。18年ジャカルタ・アジア大会の団体戦で金メダルを獲得し、19年ジャパンオープンのシングルスを制覇した。クラス10(最も障がいが軽いクラス)に属する日本人男子としては初となるパラリンピック出場が期待される。177センチ、63キロ。