◇長期連載【第3章 走る巨人、もがく竜】
1994年5月31日、6月1日と敵地で巨人に手痛い連敗を喫した中日は3日から甲子園での阪神戦。連敗を止めたのは37歳のベテラン郭源治だ。9安打に3四球と、毎回のように得点圏に走者を背負いながら、119球を投げ抜いてのチーム初完封だった。
「結果を出すしかないからね。きょうは退場第2号になってもいいと思ったよ」と郭。因縁の阪神戦だった。5月20日の対戦(ナゴヤ)では完封ペースで迎えた7回1死。ディアーへのシュートのすっぽ抜けが頭部死球となり、暫定ルールの「危険球退場」第1号となった。
続く27日の横浜戦(ナゴヤ)は5イニング6失点。それでも“退場後遺症”の声には首を振り「シュートを投げなきゃならないことは自分が一番よく分かっている。シュートがなければ、スライダーも生きないんだから」と話していた。
この日は、その言葉通りシュートで右打者の懐をえぐり、スライダーで泳がせ、再三のピンチをしのぎ切った。打っては大豊泰昭が2回に11号先制弾を右翼席に運ぶと8回にはバックスクリーンにダメ押し2ラン。「僕の願いは、心から笑えるオフを迎えることだけ」と笑顔で答えた。
投打がかみ合っての快勝に、高木守道監督も「ナイスゲーム」とナインを迎えた。前夜は兵庫県芦屋市の宿舎で投手、野手ともに連敗した巨人戦のビデオを見て、反省会を開いた。「いまの状態なら巨人に負けるのも仕方ない。でも、みんなが一から出直そうという気になったのが良かった」と言う。
しかし「ナイスゲーム」も続かない。4日はヘンリーが“ノーコン病”再発で1イニング2/3を5四球、6失点。5日は先発の佐藤秀樹が6イニング2失点の力投も、4番・パウエルが好機で3併殺の大ブレーキ。3カード連続の負け越しで、貯金はついに1となった。
逆に止まらないのが巨人の勢いだ。3日の横浜戦(東京ドーム)を元木大介、岡崎郁、大久保博元の3者連続本塁打で逆転勝ちすると、4日は1点を追う9回に代打・吉村禎章が同点弾。11回に大久保の一発が飛び出しサヨナラ勝ち。
さらに5日は8回に石毛博史が連続押し出しで逆転を許すも、その裏、松井秀喜の適時打などで再逆転。神がかり的な3戦連続逆転勝ちで横浜を3タテし30勝一番乗り。連勝を7と伸ばし、貯金も14。2位・中日とのゲーム差を6・5に広げた。=敬称略