【新華社南昌5月31日】中国江西省景徳鎮市は「千年の磁器の都」と呼ばれ、青花(染め付け)製の街灯に磁器タイルを敷き詰めた道路、通りのあちこちにある陶磁器店など、至る所に磁器があり、磁器文明を目で見ることのできる都市になっている。山や川、道路の下には、宋代から窯業で生産された磁器や窯道具などの破片が10メートル余りも堆積しており、この都市の2千年以上にわたる陶磁器作りの歴史や千年以上にわたる官窯(かんよう=宮廷専用の陶磁器を焼く窯)の歴史、600年以上にわたる御窯(ぎょよう=明清時代の官窯)の歴史における手工業の歩みを知るには、考古学的調査を待たなければならなかった。
国家文物(文化財)局の承認と調整を経て、中国社会科学院考古学研究所、国家文物局考古研究センター、故宮博物院、北京大学考古文博学院、江西省文物考古研究院、景徳鎮市陶磁考古研究所の6機関が鎮区域で磁器産業、原料、燃料、交通網、多元的信仰の五つ側面から、遺跡14カ所を対象に発掘調査を実施した。総発掘面積は2275平方メートルに及び、各発掘現場や出土した遺物から判断した結果、年代は南宋末期から近代までと推測でき、同市の磁器産業が元、明、清時代に飛躍的に発展した様子が浮かび上がった。
同市にあった歴代の磁器窯のうち、明清時代の御窯廠(ぎょようしょう)は焼成期間が最も長く、規模も最大で、最も精巧な製造技法を持つ「皇室用の磁器工房」だった。6世紀にわたって続いた御窯廠には独自の厳格な磁器選別制度があり、皇室の基準に満たない磁器は打ち砕かれた。同遺跡で共同発掘調査がさらに進められたところ、明代初期から清代までの各時代の遺跡が見つかり、明代の御窯廠の四方の境界線がおおむね特定され、工房を囲んでいた壁の全体構造が初めて明らかになった。
中でも、考古学者が明代宣徳年間(1426〜35年)より前の竜缸窯を発見したことは特筆すべきで、御窯廠の設立初期の生産状況を探る上で大きな意義がある。もう一つの窯跡、落馬橋窯跡は景徳鎮の古くからの鎮区域で発掘された、長期に生産が行われた民窯跡で、北宋後期から現代まで使用されている。元代および明代初期、後期には「官搭民焼(官窯で成形し、民窯で焼成する)」の性格を有していた。
同遺跡では、考古学者らが元代後期の建物や明代中期の葫蘆窯(ころよう=ひょうたん形の窯)、清代の鎮窯(ちんよう)の窯炉跡を発見し、古くから使われてきた窯跡の発掘方法を探る上で重要な裏付けとなった。
これまで景徳鎮の磁器産業の発展は宋代から元代、明代にかけて「農村から都市を包囲する」という道をたどったと一般に考えられていた。今回の共同発掘調査により、観音閣跡から工房がほぼ完全な形で見つかり、南宋時代の窯業の廃棄物が堆積していたことから、窯場は少なくとも南宋時代に築かれたと暫定的に判断でき、北宋・南宋の両宋時代から鎮区域には磁器工房が密集していたことが明らかになった。
北京大学考古文博学院の秦大樹(しん・たいじゅ)教授は、景徳鎮の磁器産業自体の発展という点については、今回の共同発掘調査によって多くの空白が埋められ、同市の磁器産業に関する体系的な研究が促進されたとの見方を示した。(記者/袁慧晶)