木野瀬凛子、31歳。
デキるオンナとして周囲から一目置かれる凛子は、実は根っからの努力型。
張り詰めた毎日を過ごす凛子には、唯一ほっとできる時間がある。
甘いひとくちをほおばる時間だ。
これは、凛子とスイーツが織りなす人生の物語。
◆これまでのあらすじ
大手広告代理店営業部に勤める木野瀬凛子、31歳。得意先の大手食品メーカー広報部・秋坂に、2人きりの食事に誘われる。レストランを出ると秋坂は、「まだお腹入りますか?」と言い…。
▶前回:期待して臨んだ初デートで、アノ話をされてがっかり…。女がもモヤモヤした理由とは?
Vol.9 こんな夜には、締めパフェを
「へえ、締めパフェですか!」
凛子は店内に入った途端、感嘆の声をあげた。
表参道にある『イニシャル オモテサンドウ』の店内は混雑している。
― 正直もうお腹はいっぱいだったから、2軒目と言われて不安だったけれど…パフェね!
それなら余裕で入る、と凛子は胸をなでおろした。
得意げに先導してくれる秋坂の様子を微笑ましく思いながら、案内された席へ横並びで座る。
秋坂の横顔をじっくり見る機会は今までなかったから、凛子は妙に緊張してしまう。
「秋坂さん、私、締めパフェなるもの、初めて食べます」
「そうなんですか」
秋坂は、どこか誇らしげに笑った。
「意外ですね、木野瀬さんならしょっちゅう食べているかと思いました」
単に友人が少なく、飲みに行くような相手がいないので“締める”タイミングがなかったのだ。
凛子はごまかすように笑いながらメニューを見る。
「たくさん種類がある…迷いますねえ」
集中してメニューを読み込む凛子の横で秋坂がふふっと笑った。
「え?なんで笑ったんですか」
「いや、打ち合わせで資料を真剣に読んでいるときの目と一緒だったから。木野瀬さんって、本当に可愛い人ですね」
「可愛い人」と言われ、凛子はもじもじする。
秋坂がいて、ディナーでおいしいデザートを堪能して、こうして遅い時間からパフェを食べて、「可愛い人」だなんて言われて…。
思わず口元が緩んでしまう凛子のもとに、注文したパフェが到着する。
「きれい!」
凛子が注文したのは、ピスターシュというピスタチオのパフェ。
パフェの階層は豪華な額縁に入れて飾りたいほどに美しい。スプーンを差し入れ、できるだけバランスよく拾い上げる。
「では、いただきます。…ああ、すっごいおいしい」
ピスタチオのアイスクリームの香ばしい香りに、フランボワーズシャーベットの酸味がマッチする。
「ははは。本当に、美味しそうに食べますねえ」
秋坂は、孫でも見るかのような優しい顔で目を細める。
なんだか照れてしまって、凛子は「パフェに集中してください」と笑いながら言った。
― なんか、恋人みたいなやりとり。
「ああ。秋坂さん、私今夜、本当に楽しいです」
「僕も、楽しいです」
凛子は思う。
仕事に追われ、気を張りながらこなす毎日も悪くはない。
でもこうして楽しさに身を浸していると、凝り固まった全身がほどけていくような絶妙な解放感がある。
しかし高揚した気分とは裏腹に、秋坂の笑顔はなぜか徐々にしぼんでいった。
「…どうしたんですか、秋坂さん?」
「いや。こんなに楽しいとね。京都に行くのが嫌になってしまうから困ってしまって」
思ったよりもしょんぼりした様子になった秋坂に、どんな言葉を返したらいいのか考える。
考えている間に、秋坂はまた口を開いた。
「思い残すことが多いのは、つらいことですね。京都には、行きたくない気分ですよ」
「…まあ、弟さんもいますしね。せっかく一緒に暮らしはじめたのに、寂しいですよね」
「弟はいいんです」
「…え」
「本当に心残りなのは、木野瀬さんなんです」
◆
― 心残り、か。
秋坂と別れ帰宅した凛子は、自宅のテーブルに上半身を委ねながらぼうっと考えている。
緊張のせいで、あの後どんなふうにパフェを食べて、どんなふうに解散したのか、凛子はよく覚えていない。
甘い余韻だけが、凛子の記憶のなかで輝いている。
「本当に心残りなのは木野瀬さんなんです」と言ったあと、秋坂はとても照れた様子で、言葉を選びながら告白してくれた。
「木野瀬さん。京都に行ったらたいぶ遠いですが、一生懸命通います。僕と、お付き合いしてくれませんか」
「私で…よければ」
― これって…つまり恋人になったのよね。
凛子は、じんわりとした安心感を覚える。
凛子の視線の先には、先日母親が突然訪問したときにくれたエシレのサブレ缶がある。
あのとき母親は、「一緒にいて癒やされる人がいちばん」と言った。
この、平和な、包み込まれるような気持ち。
毎日の癒やしになるような、愛おしい存在。
まるで秋坂は、自分にとってのスイーツのような存在だと凛子は思うのだった。
◆
2年後。
オフィスフロアへと上がるエレベーターに乗り込む、凛子の足取りは軽い。
いつも真剣に、眉間にしわを寄せながら働いていたのは、もう過去のこと。
凛子は学んだのだ。
― 真面目で完璧なのがいいとは限らない。
かっこよくて凛とした、スキのない背中を見せること。そのために、プライベートを投げ売ってでも努力すること…。
そんなことよりも、周囲から親しまれることで開く扉がある。
「凛子さんって、本当に変わりましたよね。昔、結構怖かったのがウソみたいです」
昨日、部下の美知から言われた言葉だ。
美知は1年半前、バレンタイン施策で大きな成果を残し、チームのなかでの存在感を大きく高めた。
今や新人教育にも精を出していて、とても頼もしい。
そんな美知に、凛子は感謝している。
「私がこんなに変われたのは、美知さんのおかげでもあるのよ」
スイーツを介して美知と打ち解けた経験は、凛子にとって大きかった。肩の力を抜いたほうが、うまく回ることもある。そう学べたからだ。
こうして凛子は、会社でも異例となるスピード出世を果たした。
凛子を乗せたエレベーターは、目的階に着く途中で止まる。
その途端、なんだか懐かしい香りがしたのでふと顔をあげると、元カレの昌文が立っていた。
「あ…」
リモートワークが全社的に主流になった今、会社のエレベーターでばったり会うなんてすごい偶然だ。凛子は、久々の昌文の姿に身構える。
「昌文…さん。お久しぶりです…」
噂によれば昌文は、次の役員候補と囁かれている。大事なときを迎えているのだろう。顔は少し疲れている様子だった。
「敬語?さみしいな」
昌文は、あまりさみしくなさそうに笑った。
「凛子、仕事うまくやっているみたいだね」
若干の気まずさのなかで、エレベーターが目的の階に到着するまで会話する。
「その節は…ひどい別れ方しちゃってごめんね、凛子」
「いえ。もう気にしてないです」
「凛子は絶好調だね。付き合っていた頃は、なんだか堅くて、ビジネスパーソンとして心配だったんだけど、杞憂だったね。
今や凛子のチームは和気あいあいしてて楽しいって、いろんなところから聞くよ」
今になってようやく、ビジネスパーソンとして認めてくれたようなことを言う昌文。
凛子は「そのうち、認めるどころから憧れてもらうんだから」と笑いかける。
それを見て昌文は言った。
「本当に凛子は変わった。昔はそんなふうに笑わなかったし、そんなふうに心を開いてくれなかったのに」
昌文がボタンを押した13階が近づき、エレベーターの扉が開きかける。
昌文は振り返り、凛子に向かって意外なことを言った。
▶前回:期待して臨んだ初デートで、アノ話をされてがっかり…。女がもモヤモヤした理由とは?
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凛子が驚いた、昌文の言葉とは?
「どうして真顔に?」デートの終盤、いい感じだと思ったのに、彼の表情が突然曇り…
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