親による過剰な叱責、暴言、受験圧力などは「心理的虐待」と呼ばれるが、2020年に警察が児童虐待を疑い児童相談所に通告した子ども約10万7千人のうち、7割超(約7万8千人)を心理的虐待が占めた。一方、学校でも、教師による精神的暴力とも呼ぶべき行き過ぎた指導によって、子どもが自死に至るケースが相次ぐ。

 家庭における心理的虐待と学校における精神的暴力を、ひとつながりの事象と見ることができる。わたしはそれを「エデュケーショナル(教育的)ハラスメント」(略称・エデュハラ)として捉える視点を提唱したい。それによって、指導やしつけの行き過ぎの本質が把握でき、防止のための法的措置の必要性も強く意識されることになる。そして、当面の現実的な対応策も見えてくる。(早稲田大学名誉教授=喜多明人) 

 ▽おとなと子どものあらゆる関係で起きるエデュハラ

 エデュハラは次のように定義できる。

 エデュハラは、おとなの世界のセクハラやパワハラとは区別しうる教育の場面に特有のハラスメントである。広く教育的な指導・しつけとして行われる子どもへの働きかけの中で、無意識に子どもの人間としての尊厳や固有の権利を損ない、踏みにじる行為全般を指す。

 学校であれば、部活・学校生活の指導・給食・行事のすべてで起こり得る。家庭なら、しつけ全般・家庭学習・早期教育・受験教育といった場面であり、児童養護施設や地域のスポーツクラブ、子ども会、塾などでも起きる。

 加害者側には人権侵害行為の自覚がなく、善意から、子どもにとって「良かれ」と思って実行している場合が多い。

 エデュハラは学校でさして疑問を持たれずに、慣例的に行われていることの中にも存在する。たとえば、生徒の下着の色を白と決めて強制する「ブラック校則」や、学校健診で子どもたちを上半身裸にさせるといった行為はそれであろう。

 被害を受けている子どもは、指導方法の不当性に気づかず、もしくは気づいても我慢する傾向が強い。仮に、抵抗した場合は、加害者側が逆上したり、「反抗的」とレッテル張りされたりする可能性があり、二次被害を受けやすい。

 このような指導の行き過ぎを告発する「指導死」訴訟は、世論も共感し、学校現場にそれなりのインパクトを与えている。しかし、基本的に個別の結果責任しか問えず、全国で起きている精神的暴力に歯止めをかけるには限界がある。また、判例が現場に浸透していくには時間もかかる。

 指導・しつけの行き過ぎの問題は、エデュハラという教育方法の問題としてクローズアップして、その人権侵害性を明確にし、法規制をかけていくしかない。

 ▽エデュハラへの法的規制の現状

 19年1月に千葉県野田市で起きた栗原心愛(みあ)ちゃん虐待死事件をきっかけとして、しつけの名による体罰を全面禁止するため、同年6月、児童虐待防止法・児童福祉法等が改正された。

 これに対し、エデュハラの中心となる精神的虐待の法的な規制は遅れているが、二つの動きが注目される。

 20年2月に公表された厚生労働省のガイドライン「体罰等によらない子育てのために〜みんなで育児を支える社会に〜」がその一つ。「身体に何らかの苦痛を引き起こし、または不快感を意図的にもたらす行為(罰)は、どんなに軽いものであっても体罰に該当する」と定義された。この「不快感を意図的にもたらす行為(罰)」は、精神的暴力まで含まれることを示したと理解できる。

 もちろん、ガイドラインは法的な強制力はなく、さらに言えば「体罰」禁止の枠内での拡大解釈の域を超えていない。

 もう一つは、東京都目黒区の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが虐待死した事件をきっかけにして東京都が19年3月に制定した子供虐待防止条例である。その6条2項は「保護者は、体罰その他の子供の品位を傷つける罰を与えてはならない」と定める。「子供の品位を傷つける罰」は、第2条に定義があり「しつけに際し、子供に対して行う、肉体的苦痛または精神的苦痛を与える行為(当該子供が苦痛を感じていない場合を含む。)であって、子供の利益に反するものをいう」とされた。「精神的苦痛を与える行為」が初めて法的な規制の対象とされたのである。

 親が子どもに対して行うしつけの中で、「精神的苦痛を与える行為」が初めて法的な禁止、規制の対象とされたのである。ただし、これは都条例であるから全国には及ばないし、理念を掲げただけで、罰則もない。

 あらゆる形態の精神的な暴力などから子どもを保護するために「あらゆる立法上、行政上、社会上、および教育上の措置をとる」(子どもの権利条約19条1項)という段階には到底、至っていない。

 ▽当面は第三者の関与で現実的解決を

 エデュハラに対する実効性のある法的歯止めが存在しない中で、当面、現実的にこれを防止していくためにはどうすればよいのか。

 それには、第三者的な立場からの関与が必要となる。その人たちには、エデュハラが子どもの尊厳を損なう人権侵害行為であることを加害者側に説明できる専門的力量が求められる。

 たとえば、エデュハラによって傷ついている子どもの辛さ、苦痛について、対面的な関係作りにより加害教師の理解を得るような手法を有するスクールソーシャルワーカーの実践が期待できる。

 また、区市町村設置が進む児童相談所では、親と子が決定的な対立に至る前、軽微な虐待行為の段階で防止する事前対応が「エデュハラ予防」活動として取り組まれていく可能性がある。

 子どもの権利条約が追い風となって一部自治体に設置された第三者相談救済機関、子どもオンブズパーソンにも、子どもに寄り添い、積極的にエデュハラ問題に取り組むよう求めたい。具体的な成果を挙げれば、この仕組みが多くの自治体に広がるだろう。

 こうして各関係者がエデュハラの解消に取り組む中で、その問題性や危険性が広く知られ、学校現場でも家庭でも「それ、エデュハラだよ」と指摘できるような社会の空気が醸成されていくことを期待したい。

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