「主文。被告人を懲役3年に処する。5年間その刑の執行を猶予、期間中保護観察に付する」。5月16日、秋田地裁101号法廷に裁判官の声が響いた。窃盗で有罪となったのは、かつて「世代ナンバーワン左腕」と呼ばれ、プロ野球巨人にも在籍した小野仁元投手(45)。判決言い渡しを、真っすぐ前を見ながら聞いた。五輪銀メダリスト、プロ入りも果たした「地元の英雄」に何があったのか。裁判から見えたその半生とは。(共同通信=上田麻由佳)

 ▽大胆な手口

 一定の年齢以上の野球ファンなら記憶に残っていたであろう名前が、唐突に世の中を騒がせたのは1月15日だった。「量販店でシャンパンを盗んだ疑いで秋田県警が逮捕」。その後の警察の調べで、日本各地を渡り歩き、ウイスキーなどの高級酒を万引して売ることで生計を立てていたと判明する。横浜市の自宅マンションから押収された酒類は、計400本以上に上った。

 2021年11月〜22年1月に秋田市や千葉市など5都県のスーパーマーケットなどから酒計31本(販売価格計約21万円)を盗んだとして起訴。3月9日の初公判では「間違いございません」と罪を認めた。
 裁判で明らかになったのは大胆な手口だ。ゴルフ帰りなどに立ち寄った店で入退店を数回繰り返し、その都度、人目を盗んで大きなバッグに酒を詰め込む。レンタカーで自宅に持ち帰り、フリーマーケットサイトで売りさばいた。きっかけは、もらい物の酒やゴルフ用品を売って思わぬ金を得たことだったという。「やめられなかった」と話した。
 防犯カメラの映像で万引の瞬間を目撃した検察官は「とにかく動きが素早い」と驚き、被害を特定できたのは一部だと語った。被告人質問では、捜査のため自宅を訪ねた警察官が、ベランダを飛び越えて全力疾走で逃げる元投手に全く追いつけなかったことも明らかに。検察官は「人並み以上の身体能力を、どうしてもっと良いことに使えなかったのか」と嘆いた。

 公判中、逮捕後の様子を振り返った元投手が感情的になった場面があった。弁護人からこう質問された時だ。
 弁護人「取り調べをした警察官からなんと言われましたか」
 元投手「『何やってるんですか』と言われました」
 弁護人からさらに「(警察官は)野球を見ていた人じゃないんですか」と質問されると「同じ、野球をしていた人です」と話し、涙で声を詰まらせた。

 ▽超高校級

 夏の甲子園ベスト4の実績を持つ強豪、秋田経法大付高(現ノースアジア大明桜高)出身。左腕から150キロ近い速球を投げ、在学中から話題を呼んだ。高校3年時の1994年秋に開かれたアジア大会では、高校生で史上初の日本代表入りを果たし、金メダル。大会前の親善試合では、当時「世界最強」と称されたキューバ代表を相手に、1回を投げて二つの三球三振を奪う。「超高校級」「10年に1人の逸材」と、称賛の声が相次いだ。
 

 ドラフト会議では、競合確実な“目玉”として進路が注目される中「2年後の五輪に出場したい」と明言。城島健司捕手(元ダイエー)、大村三郎外野手(千葉ロッテ)ら同世代のドラフト1位選手を横目に、指名対象外となる「五輪凍結選手」として、社会人野球に進んだ。96年のアトランタ五輪では銀メダル獲得に貢献し、同年のドラフトで晴れて巨人を逆指名、2位で入団した。長嶋茂雄監督(当時)は「将来を担う投手。自信を持てば大きく変貌する」と期待を寄せた。
 2軍では最多勝や最優秀防御率のタイトルに加え、無安打無得点試合や1試合20奪三振といった活躍を見せたが、1軍ではなかなか本来の力を発揮できない。2001年には上手投げから横手投げにモデルチェンジしたが大成できず、02年に大阪近鉄(当時)にトレード。翌03年に戦力外通告を受けて引退する。通算成績は36試合登板で3勝8敗、防御率5・77。その後、米大リーグのチームとマイナー契約をしたが、メジャー昇格はかなわなかった。

 ▽競馬に2千万円

 法廷では、その後の暮らしぶりが明らかになった。引退直後に結婚したものの、生活費をほとんど家に入れず「アルバイトで食いつなぐような生活」の末、離婚。家族や交際女性に金を無心することもあった。仕事も転々。ネット上に残るコラムには「人生初のアルバイトである魚市場の配送から始まり、床清掃、宅配便、椅子工場、飲食店など8回ほど転職を繰り返した」との記述がある。
 2017年秋、スポーツ選手のセカンドキャリア支援に力を入れる企業に職を得たが、在職中から犯行を繰り返すようになった。検察側は理由を「新型コロナウイルス禍による収入減」と指摘。会社は21年9月に退職した。
 盗品を売っていたフリマサイトから元投手の口座への入金額は、逮捕までの約2年間で約3000万円に上った。
 検察側の証拠によると“月収”は約100万円で、横浜市内のマンションに暮らし、ゴルフや外食に頻繁に出かけていた。約2000万円は「競馬に使った」と供述した。

 2015年には神奈川県で、窃盗の有罪判決を受けていたことも裁判中に判明。当時は報道されなかったため、家族にも秘密にしていたという。「当時は、何より怖いおやじが生きていた。ばれるのが怖かった」と述べた。

 ▽母も友人も「このばかっけ」

 それでも、秋田の友人たちは温かかった。初公判後に仮釈放され、手元に戻った携帯電話の電源を入れると、高校時代のチームメートからメールが届いていた。「このばかっけ、おめ何やってんだ」。逮捕直後に送られていたこのメッセージは、こんな言葉で続いている。「秋田に帰る場所はある。一緒に謝りに行こう」
 古希を越えた母は逮捕後、毎日のように面会に足を運んでくれた。検察官に「お母さん、何と言っていましたか」と問われると、涙ながらにこう答えた。「『ばかっけ』と。だけど、あったかいご飯を作ってくれました」
 公判中は「もう誰も裏切らない」と繰り返し、最終意見陳述では「真摯に罪を受け止め、しっかり更生したい」と深く頭を下げた。判決後は、秋田市内で母と同居しながら、メールをくれた友人の下で働くという。