PGAツアー「バルスパー選手権」最終日は大混戦になったが、最終組の2人が崩れ、終盤はトータル11アンダーで首位に並んだ36歳のピーター・マルナッティと26歳のキャメロン・ヤング(ともに米国)の戦いに絞られた。


初優勝を目指すヤングは18番で痛恨のボギーを喫し、トータル10アンダーへ後退。一方、2015年以来の通算2勝目を狙うマルナッティは、17番パー3でピンそば2メートルにつけてバーディーを奪い、ヤングとの差を2打へ広げて最終ホールに入った。

左サイドのフェアウェイバンカーからピン奥8メートルを捉えたマルナッティは、バーディーパットがカップ際で止まると、マークしてボールを拾い上げた。だが、そのときすでにマルナッティの目には、うれし涙があふれ出していた。

わずか3センチのウイニングパットを沈めると、長男ハッチャーくんが駆け寄り、愛妻アリーシャさんは次男ダッシュくんを抱いて歩み寄った。8年4か月16日ぶりの復活優勝を、家族みんなで抱き合って喜んだ。

米インディアナ州で生まれ、テネシー州で育ったマルナッティは、ミズーリ大学を経て09年にプロ転向。14年からPGAツアーで戦い始め、翌年「サンダーソンファームズ選手権」で初優勝を挙げた。

しかし、それからは優勝どころか、フェデックスカップ・ランキング125位以内に入ってシード権を維持することにも四苦八苦。シード落ちも経験し、PGAツアー出場権をかけた入れ替え戦「コーン・フェリーツアー ファイナルズ」で敗者復活的に這い上がり、なんとかしがみついてきた。プレーオフ・シリーズ最終戦「ツアー選手権」には一度も出たことがなく、今大会は世界ランキング184位で迎えた。

近年、マルナッティの名を耳にするのは、PGAツアーの6名の選手理事の1人として、リブゴルフを支援するサウジアラビアの政府系ファンド、PIFとの統合交渉に参加したといったニュースが報じられるときぐらいだった。

今大会の開幕前にもPIFのヤシル・アルルマヤン会長と選手理事との初会合に出席するために急きょバハマへ飛び、米国へトンボ帰り。米フロリダ州のイニスブルックリゾートにやってきた。

しかし、心身の疲労を見せることなく好プレーを披露。とりわけ最終日はアイアンショットのキレとパットの冴えが光った。5バーディー・1ボギーのラウンドは、実に3059日ぶりにマルナッティが実現したキャリア最高のゴルフだった。

「なんて言ったらいいのか。今、頭の中が空っぽだ。毎ショット、ベストを尽くそうと、それだけを考えてプレーしていた」

インタビュアーから『勝てなかったほぼ9年は、どんなことを思っていたか?』と問われると、マルナッティは声を詰まらせながらも、あふれ出す想いを次々に言葉にしていった。

「この9年はきつかった。20歳ぐらいの若者がツアーに登場し、それはそれは見事なゴルフをする様子を目にすると…。それが本当に苦しかった」

愛妻アリーシャさんはマルナッティと同じミズーリ大学出身。スポーツ心理学の博士号を取得しており、ゴルフの優勝を科学的に分析してまとめた自著が、近々刊行される予定だという。

「温かい目で僕を見守り、支えてくれた妻、そして家族、キャディ、周囲の人々には感謝の気持ちでいっぱいだ。僕の人生は、とてもいい人生だ。うん、とてもいい人生だ」

マルナッティはメジャーリーグのカンザスシティ・ロイヤルズの大ファンで、以前は最終日に、そのチームカラーであるロイヤルブルーのシャツを着てプレーしていた。だが、なかなか勝てなかった日々のなか、いつしか彼はその慣習をやめてしまった様子で、この日は黒いシャツ姿だった。

それでも彼は、PGAツアーでは珍しいバケットハットと黄色いボールを、この6年使い続けている。その理由は、親友だったオーストラリア出身のプロゴルファー、ジャロッド・ライルががんと闘病した末18年にこの世を去ったときから、「勇敢な戦士ジャロッドに敬意を表し、彼を忘れないために」。

白いバケットハットと黄色いボールが試合会場に鮮やかに映えた様子を、ライルも天国から眺め、喜んでいたのではないだろうか。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)


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