母と娘の関係は、うまくいっているように見えても複雑で闇が深いことがある。世間体を考えてか、表向きは「母とは仲がいい」ことにしている人もいるほど。

ナツキさん(38歳)もそのひとりだ。

■「できそこない」と言われたくなかった母
ナツキさんは、母が40歳近くなってからできたひとりっ子だった。そのためか、子どものころから「お母さんは、あなたができそこないだと言われたくないの」というのが母の口癖だった。

「今思えば、妙な言い方ですよね。むしろ、母自身ができそこないだと言われたくないだけの話。そもそも、自分の子だとしても、人に『できそこない』という言葉を使うのはどうなんだろうと思うし」

苦笑するナツキさんだが、母の過干渉は相当なものだったようだ。翌日の持ち物を、前日夜にひとつひとつ声に出しながら確認させられる行為は、社会人になってからも続いていた。

「小学生ならまだしもね。中学に入ったときに、これからはひとりでやるからと言ったら、母が『だめ、あなたにできるはずがない』って。そういう言葉を投げつけられるから、私は自己肯定感が異常に低い。

高校生になっても大学生になっても、前日夜、母の目の前で『ハンカチ、ティッシュ、テキストは何冊で、どういう教科なのか、そして体操着。他にはこういうものを持っていく』とひとつひとつ確認するんです。

友だちに借りた本を返すとか、貸すCDを持って行くとか、そういうときもいちいちチェック。バカみたいですよね」

■大学生の娘に持ち物チェックを続けて
日々のスケジュール確認も、大学生になっても続いた。講義の帰りにばったり友だちに会い、学内のカフェに行くのも母の許可をとってからだった。

「面倒になってやめたこともあるんです。友だちとお茶して、その後、黙って映画を観に行ったこともある。帰宅は9時ごろでしたかね。母は駅で待っていました。夕方6時頃からずっと立っていたそうです。近所の人も目撃していたとか」

決して体が丈夫ではなかった母は、その後、数日間、寝込んでしまった。父にすべて話したが、父は「そういう人なんだから、頼むよ」と言っただけだ。

そのように夫婦関係が希薄だから、ナツキさんは母の精神安定剤とならざるを得なかったのだろう。

■近所に結婚を頼みに行った母
社会人になってからも過干渉な母の態度は変わらなかったが、ナツキさんのほうが大人になり、母の前では言うことを聞くふりをする術も身につけた。

それでも行動を規制されるのはたまらなく嫌だったという。

「それでも母は、私がキャリアを積むことは望んでいたんです。だから残業だと言って遊びに行くこともありました。

何か言われたら『私が残業を断ってキャリアを積めなくなってもいいの?』と逆に脅したりもしていたんです。そうやって20代後半で恋人もでき、ふたりの間では結婚の話も出ていました。

その彼に、私は自己肯定感の低さを指摘されたんです。母との関係をすべて話しました。母はとんでもない人だから、どうしたら結婚に踏み切れるかもふたりで考えていたんです」

■母親同士の密約で……
そんなとき、母がウキウキした様子でナツキさんに、近所の女性を連れてきて紹介した。ナツキさんはその女性の顔は知っていたが、話したこともなかったという。

「母は『この人のおうちは大金持ちなの。息子さんが50歳で独身なんですって。あなたの写真を見せたらOKが出たのよ』とはしゃいでいるんです。何のことかと思ったら、私の結婚相手ですって。私が20代後半ですよ。

しかも、母はその家に行って、うちの子を嫁にしてくださいって頼んだそうです。ちょっとおかしいでしょ。OKする相手も相手だと思ったんですが、どうやらそれは母親同士の密約だったみたい(笑)」

ナツキさんは「断固拒否します」と言ったきり、母とは言葉を交わすのをやめた。母はおろおろして「ごめんなさい」を繰り返した。

その一件で、娘がいつの間にか成長して大人になっていることを初めて認識したのだろうとナツキさんは言う。

「私もさっさと結婚して家を出ればいいんですが、そのころ付き合っていた彼に浮気されて……。30歳になる前に別れました。それからは仕事ばかりですね。

ひとり暮らしも考えてきたけど、私自身も母をひとりにするのが怖いんです。近所や知り合いに迷惑をかけるのではないかと。私なら、なんとか母の扱いがわかっているから、最悪の事態にはならずにすむ。

でも、こうやって自分の人生が母の犠牲になっていることもわかっている。母はあと数年で80歳になる。

看取ってから自分の人生を考えたら、おそらく私が自由になるのは50歳とかじゃないですかね。それはかなり絶望的にも感じます」

母より3歳年下の父も、すでに70代半ば。おそらく母とふたりきりになりたくないという理由で、父は今も仕事をしているとナツキさんはいう。

「今でも日々、母にはムカッとくることばかりです。こうなったら諦めるしかないのか、今からでも家を出たほうがいいのか、いくら考えても答えは出ない……」

自立する時機を逸したことは後悔していると彼女は言う。距離をとりたくてもとれない、それが彼女の優しさなのだろう。このままでいいかどうかは彼女自身が決断するしかないのかもしれない。

▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

亀山 早苗(フリーライター)