「共同親権」を導入する民法改正が成立した。すでに離婚した夫婦であっても申し立てれば適用されるとあって、戦々恐々としている女性たちも少なくない。成人している離婚家庭の子どもたちからも声が寄せられた。

■事例1. 離婚家庭出身の24歳「暴力的な父は“外ではいい人”だった」
「母が私を連れて父親の元から逃げたのは、私が8歳のときです。妹はまだ6歳だった。母はいつも父から暴力をふるわれていて、私はそれが怖くて部屋の隅で泣いてばかりいた。そんな記憶があります」

そう話してくれたのはミオさん(24歳)だ。母は一時的に、遠方の実家で子どもたちと生活しようとした。だが、夫の代理人と名乗る弁護士が現れたため、母はミオさんたちを連れ、友人を頼って関西のとある町へ引っ越した。

「その友人の夫が会社を経営していたので、母はそこで働かせてもらい、会社所有のアパートにも住まわせてもらった。首都圏から母の実家、さらに関西へと半年あまりで転々としたので友だちに挨拶もできなかったけど、私はとにかく父が母を殴る光景を見なくて済むようになったのでホッとしました」

今よりずっとDVへの理解がなかったころの話だから、母もつらかっただろうとミオさんは考えている。その友人がいなかったら、自分たちはたぶん父親につかまって暴力から逃れられなかったに違いない。

■共同親権が導入されていたら「背筋が寒くなる」
ミオさんは高校卒業後、専門学校に入り国家資格をとった。今はその資格を生かして仕事をしている。妹は成績が優秀で、返済義務のない奨学金をもらって大学に通っている。母も仕事を続けており、ようやく人並みの生活ができるようになったと言う。

「結局、両親の離婚が成立したのは私たちが逃げてから5年後。しかも父が再婚したいからという理由でした。ただ、再婚も数年で破綻したみたいですけどね。私たちが父に会うことは2度とないと思う」

あのころ共同親権が導入されていたら、と思うとミオさんは背筋が寒くなると言った。

「暴力をふるっている人すべてがそうではないかもしれないけど、父の場合は非常に責任の重い仕事をしていて、なおかつ外ではいい人で通っていて信頼もされていた。録画や録音をしていればDVは証明できるでしょうけど、父のような人間だったら録画も録音もさせない工夫をすると思う。証拠を残さないように人をいじめることだってできる」

苦労がわかっていて子どもを連れて逃げるには、それなりの理由があるのだ。DVの有無を他人が決めるのはむずかしいのではないかとミオさんは言った。

「今、苦しんでいる人たちには申し訳ない言い方だけど、私自身は成人していて本当によかったと思っています」

■事例2. 離婚家庭出身の28歳「ある日、家から母が消えた」
「僕が10歳のころ、家から母が消えました」

そんな衝撃的な言葉を発したのは、ケンイチさん(28歳)だ。地方の「本家」の長男のもとに産まれたケンイチさんには、2歳年上の姉と3歳年下の弟がいた。母は姉だけ連れて家を出た。

「ある日、学校から帰ったら母がいなかった。その日の朝、母は学校へ行く僕をぎゅうっと抱きしめたんです。そんなの珍しかったし、照れもあって僕は体をよじった。すると母は泣き笑いみたいな顔で『元気でね』と言ったんです。不穏なものは感じました」

その晩、父と祖父母から「お母さんは家を出ていった。他に好きな男ができたんだ。お母さんは裏切り者だ」と言われた。

「それからも、ことあるごとに母がいかにひどい女かを吹き込まれた。父が母を怒鳴っているところなどを見たことはあったから、そうか、母が浮気して父に怒られていたのかとわかったような気になっていたんです」

高校生のころ、下校しようとしたときにひとりの高齢女性が門のところに立っていた。母の母、つまりケンイチさんの祖母だった。

「祖母は必死に話を聞いてほしいと言いましたが、僕は『僕には母親はいない』と拒絶しました。祖母はわかったと引き下がり、これだけは読んでほしいと手紙を押しつけてきたんです。迷いましたが、そのまま捨てるのも気が引けたので公園で読みました」

そこには母の痛切な思いがしたためられていた。父や義両親からの物理的・精神的暴力がひどかったこと、男の子はおいていけ、女は役に立たないから連れていけと言われたこと、それ以来、面会すら許されず、月日が経ってしまったこと。

「そのときは母の言い訳としか受け止めなかったけど、手紙は鞄に入れて毎日持ち歩いていた。同居する祖父母や父からずっと聞かされていた母のイメージと、僕自身が感じていた母の優しさ、手紙の誠実さを比較すると、どちらが正しいのかは内心わかっていた。

でも僕自身も、何があっても僕らも連れていくことはできただろうという母への恨みもあった」

思春期特有の混乱と母への思慕が重なって、彼は気持ちをどう整理したらいいかわからなかったという。

「大学入学のため上京し、手紙に書いてあった母の住所を訪ねました。あのとき手紙をもってきてくれた祖母がいて、母が1カ月前に亡くなったと教えてくれた。どうしてもっと早く訪ねていかなかったのか、せめて手紙の返事を書けばよかった」

■共同親権よりも「面会交流に力を注いでほしい」
もし共同親権だったら、こういう場合、母は僕らに会えたのだろうかとケンイチさんは考えた。だがあの家庭環境で、母が子どもたちと会えるとは思えない。結局は力関係でうやむやにされてしまうのではないか。不都合があったときは家裁に申し立てればいいというが、家裁がそこまで迅速に機能するとは思えないとケンイチさんは言う。

「だったらもっと面会交流に力を注いでほしい。親権なんてどっちにあっても、子どもには関係ないんですよ。離婚した時点で夫婦関係は破綻しているのだから、協力して子どもを育てるなんて無理な話。

一方が主に育てていくしかない。もう一方は養育費をきちんと負担して、その代わりに面会を増やして親子関係を保っていく。僕の場合はそうしてほしかった。そうすれば母を見殺しにしないで済んだ……」

今も後悔しかない。自分がもう少し勇気を持てていたら……。子どもにこんな思いをさせたのは、父から母へのDVだ。

弟も家を出た。2度と実家に戻ることはないだろう。「それが、僕らから母への贖罪かもしれません」と、ケンイチさんは涙ぐみながら言った。

▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

亀山 早苗(フリーライター)