連載「Voice――今、伝えたいこと」第19回、“キング・オブ・スキー”がアスリートに送る熱いメッセージ

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第19回はスキー・ノルディック複合で2大会連続金メダルの荻原健司氏。「キング・オブ・スキー」とも呼ばれるレジェンドが、部活動に打ち込む中高生や、そして1年延期となった東京五輪を目指すアスリートに送るメッセージとは。

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 五輪で2つ、世界選手権で4つの金メダル。W杯通算19勝、史上初の3年連続の総合V――。輝かしい実績を誇る荻原さん。“キング・オブ・スキー”と呼ばれた男にとっても、スポーツが縁遠くなってしまった今、スポーツが持つ力と改めて向き合っている。

「スポーツとは何なのか。次々と大会がなくなっている。私自身も日頃講演会や、スポーツイベントに呼ばれることが多いのですが、そういうものが全てなくなった。不要不急という言葉が言われていますが、スポーツは本当に不要不急なのでしょうか。考えさせられました。スポーツって何なんだろうと。スポーツがあることで、すごく充実して清々しい豊かな生活が送れるんだと、改めて感じています」

 50歳となった今も実に若々しい荻原さん。穏やかな表情でスタートしたリモートでのインタビューだったが、インターハイや、甲子園が中止となった若きアスリートたちへと話が及ぶと一転、表情を曇らせた。

「特に若い選手たちが心配です。中高生、部活で頑張っていたにも関わらず、夢の舞台がなくなってしまった。中高生にとっては五輪や世界大会はまだまだ先のこと。目指しやすい、目標となりやすいのが全国大会です。多くの若いアスリートたちが、自分の目指すべき場所がなくなって、スポーツに対するモチベーションが低下してしまっています」

 では、そんな中高生アスリートは何をモチベーションにすればいいのだろうか。荻原さんは伝えたいメッセージがあると、声のトーンを一段上げた。

「スポーツは中学まで、高校までと決めていた。という3年生も多いでしょう。全国大会はなくなってしまいましたが、終わりを決めていた選手自身の気持ちがすっきりとして、自分は十分やってきましたと。それで競技活動から離れようというのであればいいと思います。ですが、好きなスポーツを本当にこのままやめてしまっていいのだろうか。どうしても、もやもやした気持ちが残っている選手もいるでしょう。私は、このもやもやを残したまま、競技スポーツから離れて欲しくありません。

 いつか必ず、後悔する時がくる。あの時、なぜやめてしまったんだろう……。もうひと踏ん張りして頑張ればよかった。と思う時がくる。もやもやしたものが少しでもあるんだったら、高校や、大学に進学してもチャレンジをしてほしい。自分の気持ちの中ですっきりするまで、やりきったというところまで続けて欲しい。それがこの先の自分の人生にも繋がってきます。こういう状況だからこそ、中学校まで、高校までと区切りをつけないで。そもそもスポーツって区切りをつける必要はないんです。一生涯付き合っていけるのがスポーツです」

 自身も群馬・長野原高時代から世界ジュニアに出場するなどしていたが、順位は16位が最高。オリンピックを意識し始めたのは20代に入ってから。「中高生の皆さん、自分自身の可能性が広がっていくのはこれからですよ」と強調する。

1992年アルベールビル五輪で金メダルを獲得した荻原氏(中央、左は三ヶ田礼一さん、右は河野孝典さん)【写真:Getty Images】

五輪を目指すアスリートが「今できることは準備しかない」

 一方でトップアスリートが大目標として目指す東京五輪は1年延期が決まった。4度五輪に出場し、2大会連続で金メダルを獲得した大先輩としては、“オリンピックアスリート”に対して自覚を求めた。

「まずは1年延期が決まりました。目標、練習計画も立てやすくなった。ただ私としては、今のコロナによる困難な状況が改善されることはなくても、プロアスリート、オリンピックアスリートの皆様には、もし仮に、明日本番をやることになったとしても、ベストな状態で、いつでもいけるように準備をしておいてほしい。そのくらいの気持ちでいてほしいと思っています」

 もちろん施設が使えず、満足いく練習環境がない状態だとは理解している。それでも荻原さんが強調するのは意識の点だ。

「NTC(ナショナルトレーニングセンター)も使えない状況の中で、色々な条件が限られています。そんな中で、できる準備だけはしっかりしておくこと。自分が今、できることは何なのか。アスリートがコロナを退治することは難しいですよね。日程を決めることもできません。できることと言えば準備しかない。そこに100%を注ぐことです。

 オリンピックは本来、4年に1度ですが、今回は5年。常にベストな状態を保っておくのがプロのアスリートです。それが、オリンピックに出るような選手だと私は思っています。種目によってはオリンピックの代表に決まっている選手もいる。決まっている中で、1年待つというのはモチベーションを考えても長いと思います。安定した環境にいると、誰しも気持ちが守りに入ってしまうこともある。そういう意味で油断は大敵です」

 準備の大切さを強調するのは自身の経験にもある。荻原さんは1992年のアルベールビル、94年のリレハンメルと、2大会連続で団体金メダルに輝いた。2年という短いスパンで迎えた大舞台で連続して頂点を掴み取った。しかし悔いがあるという。

「92年と94年に関してはわずか2年。W杯でも総合優勝を続けていた時期だというのもあって、ある種の勢いみたいなものでいけました。ただ悔いもあります。94年は団体では金メダルでしたが、個人では4位でメダルにとは届きませんでした。当時はずっと結果が出ていたし、調子も良かった。『普通にやれば勝てる。冒険をする必要はないんだ』と、どこかで守りに入ってしまいました。それでああいう結果になってしまった」

 92年のアルベールビルでは個人で7位だったが、その後はW杯で圧倒的な成績を残して迎えた94年のリレハンメル。大本命として迎えたノルウェーでの五輪だったが、金メダルどころか表彰台にも上がれなかった。それを荻原さんは「守りに入ってしまったゆえの敗戦」だと分析している。

 だから、次の98年長野五輪へ向けては「絶対に金メダルを獲る。そういう気持ちをわずかでも失ってはだめだ」と目の色を変えて臨んだという。結果的には日本選手団の主将として臨んだ自国での五輪でも個人は4位でメダルにはあと一歩だった。「結局メダルは獲れなかったのですが、リレハンメルで残していたような悔いはありません」と回想する。

運動不足になりがちな人へ向けてラジオ体操をオンライン配信、荻原氏は50歳の今でも精力的に活動している【写真:Getty Images】

「一日を元気にスタートさせるために」オンラインラジオ体操をSNSで配信

 一部の地域を除き緊急事態宣言が解除されるなど、苦境に耐え続けてきた中に光が差してきた。それでもすぐに以前のような日常が戻ってくるとは限らない。荻原さんは、自宅生活が続き運動不足になりがちな親子へ向けて、あるチャレンジをスタートさせた。

「ご自宅にいると、どうしても運動不足になってしまう。子どもたちもまだ学校がないので、規則正しい生活が崩れがちです。そんな中でみんなで朝、ラジオ体操をオンラインでやるのはどうかなと思って、今はフェイスブックを使って発信しています。一日の元気な朝を迎えるためにラジオ体操はおすすめです。まずは決まった時間に朝起きるところから、“おはようございます”と元気に挨拶することから1日をスタートできます。

 日本では昔から夏休みの早朝、公園に集まってラジオ体操するような文化がありますよね。今年はそういったこともできなくなるかもしれません。そんな時に何かできないかと思ったのがきっかけです。最近は子どもだけでなく、大人も家の中に長くいることでイライラをため込んでしまうというニュースも聞こえてきます。そんなストレスやイライラも朝起きて体を動かすことで解消されます。荻原健司がラジオ体操をやっている、面白そうだから一度やってみようか。そんな人が1人でも興味をもってくれればと思います」

 スポーツの持つ力を信じる荻原さん。50歳にしてなお精力的に、その魅力を発信し続けていく。

■荻原 健司(おぎわら・けんじ)

 1969年12月20日、群馬県出身。群馬・長野原高から早大へ進学。ジャンプで大差をつけ、クロスカントリーで逃げ切るスタイルを確立。五輪では団体2連覇に貢献。W杯では、日本スキー界初の年間総合優勝に輝き、1992年シーズンから3連覇達成。引退後、参議院議員選挙全国比例代表区で当選。スポーツ政策を柱に精力的に活動し、1期務めた。2010年に自身が在籍した北野建設に復帰し、スキー部GMとして五輪メダリストを輩出。19年からはジュニア世代の育成に軸足を移し、次代の五輪メダリスト輩出を目指している。双子の弟・次晴さんも複合の元選手で1998年長野五輪では団体チームメート。(THE ANSWER編集部・角野 敬介 / Keisuke Sumino)