連載「Voice――今、伝えたいこと」第24回、3大会連続五輪代表のメッセージ

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第24回は、元女子モーグル日本代表・伊藤みきさんが登場する。3大会連続の五輪代表の座を掴んだが、ソチ五輪本番当日に負傷して棄権。新型コロナでインターハイなどの大会が中止となった中高生へ、直前で夢を失った経験をしたからこそ伝えられる“ゴールとの付き合い方”について語った。

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「誰か来てください!」

 雪上にうずくまったまま叫んだ。激痛で顔は歪み、膝を押さえる。自力で立ち上がることすらできない。駆けつけたスタッフに担がれ、日本の期待を背負った26歳のメダル候補はコースを去った。

 2014年2月6日、ソチ五輪予選1回目の直前練習だった。2か月前に右膝前十字靭帯を損傷した伊藤が、保存療法を選択して臨んだ夢の舞台。第2エアで飛んだバックフリップ(宙返り)の着地で右足に体重がかかった。そのままコース上に倒れ込んだ。どうにもならない悲運。なぜ、今なのか……。人生を懸けた五輪は、寸前で雪のように解けて消えた。

「私はそこで死んでもいい、右膝がなくなったとしても絶対に取り組みたいという強い気持ちがありました。ソチまでは『期待に応えられない人は選手じゃない』と思っていたくらい勝気な選手でした。応援してくださる人、サポートしてくださる人がいる以上、その期待には勝つしか方法はないんだと思っていました」

 薄情な神様に与えられた試練を、今は笑って振り返ることができるようになった。五輪2か月前、最初に負傷した時は全治8か月と宣告されたが「少しでも可能性が残っているのなら、できることを全部やって挑戦したい」と後悔しない道を決意。意思を尊重してくれた人の多くの協力があったにも関わらず、結局は戦うこともできなかったが、味わった経験を否定することはしない。

「ソチ五輪に向けて、もしかしたらメダルが獲得できるかもしれないという絶頂から、怪我によって出走さえもできなくなり絶望感を味わいました。スキーは私に夢も見させてくれて、それ以上に地獄のような絶望も教えてくれたけど、私はスキーが嫌いになることはなかったです。大きな目標に向けてがむしゃらに頑張れたことが、私の人生にあったことに感謝できました」

 直前で夢が消えるなんて誰にでも起こることではない。しかし、世界がウイルスに襲われた今、インターハイなど大目標を失った子たちが大勢いる。伊藤は「私の場合は自らが原因で出走できなかったので、彼らとは立場が少し違うかもしれないですが」と前置きし、自身の経験を振り返った。

「ゴールがなくなるというのは、どこに向かって走ればいいかわからなくなるということだと思います。ゴールが42.195キロだったとすると、42キロ走りました、あと195メートルです、ゴールがなくなりましたという状態。周りから見たら考えられないくらい最悪なことですが、次のゴールをつくるのは自分自身です。私の人生はソチがゴールじゃなかったと気づけたことが、絶望感から立ち直れたきっかけだったんですね。

 死んでもいい、右膝がなくなったっていいという気持ちで臨みましたが、冷静になれた時、私には膝もあるし、手術すればまた滑れるんだと思えた。どういう気持ちでスキーに取り組み、雪と向き合い、コースの中でつくっていくかというのは、私にしかできない物語。また新たな物語を作ればいいだけ。そして、次の目標にした平昌五輪をゴールだと思って取り組んでいきましたが、平昌が終わっても『自分にとって最高の滑りがしたい』と思って、さらに1年続けました。

 どんなにつらい時も一生懸命に取り組む。自分自身がしっかりとファイティングポーズをとって取り組めているか。それがすべてだと思っています。それは周りの人に対してポーズを取るのではなく、自分の目標に向かって取り組めているか。本当にそれがやりたかったのか、やりたいのならどうやるのか、次の目標を何にするのか。今は考える時間があると思います」

 本気で歩んだからこそ、五輪を直前で失っても過程に大きな価値が生まれた。

ソチ五輪、現地で練習する伊藤さん【写真:Getty Images】

「地球の終わり」と感じた手術後の夜、“壮絶な10時間”で得たものとは

 当時、悲劇のヒロインのような立場だった。夢を奪われた心情は計り知れない。どうやって立ち直ったのだろうか。幸いにも、姉、妹、当時のコーチも同箇所を損傷した経験があり「当たり前に復帰するもんだ、みたいな空気感が家族も含めて私の周りにできていった」と復帰への道筋が見えていたという。

「もう自分で何も考えられなかったので『乗っちゃえ』という気持ちでした。正直、奮い立たない気持ちでしたが、手術は私が執刀するわけではない。先生が頑張ってくださることだから、先生に命を預ける気持ち。奮い立たない時は無理やりやると心が壊れちゃうと思ったので、無理をせずに『スキーができるようになりました』と先生に言うところまで頑張ろうかなと。目の前の一つずつのことに集中しました」

 訪れた壁は、気持ちの切り替えだけではなかった。「競技人生で本当に『地球の終わりだな』と思った時がある」。穏やかな天気の続いたソチ五輪後の4月。拠点の長野ではなく、東京で右膝の手術を受けた。一人、術後の夜に見た地獄は忘れられない。

 全身麻酔から目が覚め、病室の天井を眺めた。入院も、手術も初めて。ベッドには体内とつながった管が無造作に散らばっている。夜になると、部屋は真っ暗闇となった。この時、襲ってきたのは痛み止めによる吐き気。何度も嘔吐した。薬の中断をお願いし、吐き気よりも痛みを選んだ。夜8時。絶望感に襲われる時間が始まった。

 傷口に激痛が走る。顎がカタカタと動いて止まらない。「痛すぎると、人って震えるんです。歯と歯が当たって音が鳴るのが凄くストレス」。自分で顎を押さえつけ、無理やり止めようとした。背中に麻酔の管、尿道に通した管があるため、決してベッドから起き上がってはいけない。ストレスが積み重なった。「激痛で眠れない。いったい何と闘っているんだろう」。心を無の状態にすること10時間。朝6時まで格闘した。

「その時にやり過ごすことを覚えました。時計を見てもいいけど、それに心を持っていかれないようにする。ただそこにいるだけの無の時間。“今は無を与えられている”と思ったら『無があるから何もないよりマシ』みたいな。そんな真っ暗な状態でした」

 禅問答のような時間に耐えた。なぜ、ナースコールを押さなかったのか。今ではケラケラと笑いながら説明する。

「看護師さんたちもお休みされているだろうし、私がちょっと痛いくらいで起こしちゃだめだろうと思っていました。超バカですね(笑)。なんでそう思ったのか、なぜボタンを押さなかったのか謎です」

 自分でも理解不能な気遣いにより、忘れられない一夜となった。3週間の入院中、学んだのは「できないことを数えだすときりがない。あるものを数える癖をつけると凄く楽になる」ということ。英会話の勉強やパズルにも挑戦した。「好きじゃないことに挑戦すると、自分じゃない自分が出てくる」と発見があり、前向きに過ごせた。

 こんな経験があるからこそ、新型コロナ禍にあっても「なるべくいつもと変わらないように、平常心で心穏やかにやり過ごそう」と試みた。

 冬季種目にも大きな打撃を与えた新型コロナ。モーグルはW杯の終盤戦など国内外の大会が中止となり、札幌開催の中高生が出場する3月のジュニアオリンピックもなくなった。来季の目標設定に関わり「目標を見失ったままわけのわからない春になっている子も多い。トレーニングをどう組んでいけばいいか困惑していると思います」という。

コロナ禍で目標を失った中高生にメッセージを送った【写真:Getty Images】

大切な自分だけの物語「人生のゴールは、誰かが決める大会ではない」

 中学、高校生は進学へのアピールチャンスも失った。「自分が一生懸命頑張っていることの証明になる機会。奨学金にも関わってくるので、実際に競技寿命が短くなる子もいると思います」と危惧する。一方、自分だから伝えられる声がある。

 勝つことも、負けることすらもできなかった選手たちへ。“ゴールとの付き合い方”について、言葉に優しさを込めて投げかけた。

「自分の人生のゴールは、誰かが決める大会ではなく、もっと幅の広いところにあるんじゃないかな。インターハイがなくなったことは本当に大きな喪失感があって、周りで見ている方にも喪失感があると思います。だけど、だからこそ、選手がどういう気持ちで次に取り組んでいくか、次にどういう人が大化けするのか、ストーリーは繋がっている。インターハイがなくなって終わるわけじゃない。

 一生懸命に取り組んでいる人に対し、周りはずっと応援し続ける。一生懸命な姿を見せることこそ、アスリートなのかなと思います。ゴールを決めるのは自分自身だから、自分で目標設定をする。若いうちに目標がなくなってしまい、これが最後の試合だったかもしれない。だけど、人生のゴールをつくる練習だと思って、取り組む気持ちになってもらえたら。そういう人が一人でもいたらうれしいです。

 機会を失われた自分だから見える景色があるはずです。ある意味、特別な場所に立っていると思うので、彼らにしか見えない景色を思う存分堪能して、次に飛び立つ助走にしてほしいなと思います」

 自身は昨年5月に現役引退。全身全霊を懸けた競技人生に幕を下ろすと、手持ち無沙汰になった。「ゴールがなくなったので引退しましたが、半年くらいは何に走って行けばいいのかわからなかった」。目標も特にない。ただし、睡眠や食生活の乱れ、運動不足は「何かやりたいと思った時に足かせになる」と捉え、トレーニングを日々のルーティンに入れた。

 無理やりゴールをつくる必要はない。でも、いつか出会うかもしれないゴールのために準備をしておく。

「やりたいこと、なりたいものが明確に見えていませんが、興味を持ったことにチャレンジできるよう、心身ともに健康でいたいです。“やりたいことに出会う自分”を作っておこうと思っています。今は一生懸命、自分が目標に向かって取り組めるものを探す旅に出ている。農業はその一つなんですよ」

 2018年に入籍した夫と札幌で暮らす日々。感染対策を徹底しながら、ランニングやサイクリングで気分転換をする。さらに地元・滋賀の名物「日野菜漬け」を札幌にいても食べられるように、車で約40分の江別市で農業を始めようと計画中だ。「北海道で農業って夢みたい。北海道の土を触れる喜びみたいなものを得ました」と声を弾ませる。

 そして、人生のゴールは明確ではないが、指導者として一つの目標に出会った。

 夏季は東京五輪が1年延期となる一方、2030年の冬季五輪招致を目指している札幌市は、地元からオリンピアンを生むために7月から特定の5種目の強化計画を始動させる。伊藤はモーグルのチーフコーチを任された。現状は小学校低学年から中学生が対象で、10人ほどを入れ替えていきながら指導。予算やスケジュールも管理し、環境づくりでもサポートする。

 子どもたちに伝えたいことは、技術だけではない。

「あと10年間で何ができるか。それは私にとって一つの挑戦になる。『スポーツは人生をよりよくするものなんだよ』ということは伝えたいですね。負けて不幸になったり、モーグルが嫌いになって辞めたりすることは避けたい。彼らのゴールはオリンピアンですが、私の中のゴールは人間としての成長がそこにあるかどうか。幸福な人をどれだけつくれるかということが、勝負だと思っています」

 五輪でメダルを獲れなかった。世界で一番になれなかった。でも、そんな“ないもの”を嘆くより“あるもの”を数える。夢の舞台を直前で失くしたが、大切なものを得た。自分で決めたゴールに向けて、一生懸命になればいい。伊藤みきだから伝えられるメッセージだ。

■伊藤 みき(いとう・みき)

 1987年7月20日生まれ。滋賀県蒲生群出身。3歳からスキーを始め、近江兄弟社高3年時にトリノ五輪で20位。バンクーバー五輪は12位。2013年にW杯猪苗代大会で初優勝。同年世界選手権はシングル、デュアルの2種目で銀メダル。平昌五輪出場はならず、19年5月に現役引退。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)