第2次世界大戦中、米国で日本人や日系米国人が強制収容された施設跡地の一つ、カリフォルニア州マンザナールで27日、恒例の「巡礼」があった。収容経験者やその子孫らが戦中の記憶をつなぐために続けており、今年で55回目。参加者からは「米国や世界の民主主義の将来が心配な時だからこそ、巡礼の意義がある」との声が出た。

 米国では1942年、主に西海岸周辺に住んでいた約12万人の日本人や日系人が、「安全保障上の脅威」という理由で、大統領令によって自宅などから立ち退かされ、強制収容施設に移住させられた。

 施設の多くは人里離れた場所に作られた。ロサンゼルスから北に約300キロの砂漠地帯にあるマンザナールもそうだ。戦中は鉄条網で囲まれたバラック小屋が並び、兵士が警備に立っていた。

 戦後にバラック小屋などは解体され、強制収容を経験した人の多くは「米国に同化しよう」と体験について語らなかった。しかし、「記憶をつなぐべきだ」という運動が起き、マンザナールでは69年に「巡礼」が始まった。跡地は92年に国定史跡に指定された。米政府も88年に日系人らに謝罪し、補償を支払った。