藤枝市出身の涌井(旧姓広瀬)友子さん(93)が主幹を務める東京都中野区の地方紙「週刊とうきょう」が今年、創刊50周年を迎えた。友子さん自ら現役の記者として工芸展や町内会の行事などを取材し、人々の素朴な営みを伝えている。
 友子さんは1931(昭和6)年、5人きょうだいの4番目として生まれた。西益津小、県立藤枝高等女学校と進学し、同校2年時に終戦を迎えた。
 焼津市立豊田小で代用教員を務めた後、静岡鉄道で本社受付係として6年間勤務した。58年、短歌サークルで知り合った涌井啓権[ひろのり]さんと結婚し、上京。啓権さんは当時、中野区に7社あった地方紙の一つで記者をしていた。啓権さんは後に退社し、74年1月に「週刊とうきょう」を創刊した。
 友子さんは名前について「中野区だけじゃなく、都内の広い範囲を取材したいという思いがあったからでは」と語る。創刊号では記者経験のない友子さんも都内の静岡鉄道の営業所に力を借り、都民向けに伊豆観光に関する記事を書いた。以降は集金業務などで夫を支え、家庭では4姉妹の子育てに力を注いだ。
 ところが82年4月、啓権さんは53歳の若さで病死した。病床では亡くなる直前まで赤ペンを握っていたという。「ほそぼそでも続ければ主人も喜んでくれるんじゃないか」。会社勤めの誘いもあったが、自分一人で新聞製作を引き継ぐことを決めた。区役所の広報担当職員らに原稿の書き方や記事の組み方を教わった。
 警察署の感謝状贈呈、区民のスポーツ大会など、情報を耳にすれば積極的に足を運んだ。区長の定例会見は欠かさず出席。選挙も報じる。区議選では1日に6、7カ所の選挙事務所を自転車で回って取材したこともあるという。現在は次女の久美子さん(61)と取材を手分けし、自宅で執筆、割り付けに励む。
 「人に会うのは楽しい。いくつになっても勉強ですよ」と友子さん。生涯現役の秘訣(ひけつ)の一つがくよくよしない性格だという。「静岡の人はのんきで争い事を好まない」と、静岡を離れてみて思う。「私も『何とかなるか』という考えだから続けてこられた」。静岡生まれであることを誇りに、まだまだ健筆を振るう。

 <メモ>「週刊とうきょう」は月2回発行で、最新号(6月25日付)の紙齢は1317号を数える。タブロイド判の表裏1枚で、区長定例会見の内容、消防団の操法大会や地元小学校のPTA連合会といった行事など10本前後の記事を掲載している。発行部数は約2千部。郵送の他、近隣の購読者や公共機関には直接届けている。