1974年7月の七夕豪雨の夜、奥さんが産気づき、冠水で産婦人科にたどり着けずに公民館を頼ってきた夫婦はその後どうなっただろうか−。当時、静岡市南部公民館(現・南部生涯学習センター)に勤務していた元教員の曽根辰雄さん(72)=同市駿河区=は七夕豪雨から50年の節目の年に合わせ、あの日の出来事を本紙「読者のひろば」に投書した。6月末に掲載され、4日、投稿を読んだ夫婦と再会を果たした。
 「男の子だった?女の子だった?」。待ち合わせ場所のセンターに現れた門田進さん(79)博子さん(73)=同区=夫妻を見て、曽根さんはこう言葉を発した。一気に時が戻ったように場が和む。「女の子でしたよ。もうすぐ50歳ですけど」。博子さんが県外に住む長女の様子を照れくさそうに語った。「あの時はありがとうございました」。50年ぶりに感謝を伝えた。
 センターは当時の公民館と同じ建物。3人は七夕豪雨の資料や新聞紙面、写真を見せ合いながらあの日を振り返った。七夕の夜、白衣やかばんを頭に載せた医師と看護師が水に漬かりながら公民館まで歩いてきて博子さんを診たが、出産まで間があるとの判断で、2人は一度家に戻った。曽根さんは後日、人づてに無事に生まれたことを聞いたが、翌年には小学校へ異動したため2人に会う機会がなく、長年気になっていたという。
 長女が生まれたのは3日後の7月10日。それを聞いた曽根さんは「妻の命日だ。なにかの縁だったんだな」とぽつり。「胸につかえていたものがとれたような気がする」と続けた。
 現在は、郷土史家として過去の災害などを題材に各地で講座を開く曽根さん。七夕豪雨は経験者としての視点も交えて伝えてきた。「風化させないよう、節目には行政主体の慰霊祭などを開き、犠牲者や災害対策についてもっと考えていくべき」と感じている。
 「豪雨後に生まれて育った命を大切にし、亡くなった命に祈りをささげたい」


※以下6月28日 「読者のひろば」から
■七夕豪雨50年 命の重み思う/静岡市駿河区・曽根辰雄(無職 72歳)
 50年前の7月7日、静岡市など県内は七夕豪雨に見舞われた。
 当時、私は大学を卒業し、市南部公民館に勤務したばかり。7日は参院議員と県知事のダブル選挙が行われた。吏員として投票事務にあたり、翌日は市民体育館での開票作業を命ぜられていた。午後9時頃、上司から「公民館を避難所として開設するから出勤せよ」との連絡を受け、公民館に向かった。
 同11時過ぎ、車で若いご夫婦が来館された。妊娠中の奥さまが産気づいたので公民館近くの産婦人科へ向かったが、冠水で行けずに公民館に来たという。病院に電話すると、医師と看護師が来られた。すぐの出産はないとのことで、ご夫婦は帰宅された。後日、無事に出産との報告を受けた。
 七夕豪雨50年にあたり、生まれた命の大切さを思い、亡くなられた方々のご冥福を祈ります。