今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

荒れ模様のストーブリーグ



表紙は南海・野村克也

 今回は『1961年12月18日号』。定価は30円だ。まだまだストーブリーグ真っ只中で、あちこちで荒れ模様。巨人では日本シリーズのMVP、宮本敏雄のトレード話が起こっていた。ただ、通常この手の話はマスコミから始まるのだが、このときは違った。巨人の球団幹部が記者たちに「だれか高田代表(中日)に連絡してくれませんか。井上なら宮本と交換してもいいと思っているんだ」と発言したというのだ。

 井上とは、中日のレギュラー二塁手・井上登である。濃人貴実監督との確執で移籍志願をしていたのは事実で、当時の巨人にとって二塁手が大きな補強ポイントだったことも間違いない。ただ、それを球団幹部が記者に漏らすのは普通じゃなかった。

 要はそれだけ宮本が球団を怒らせたということだ。同年打率.238、7本塁打の宮本は、もともとトレード要員だったが、日本シリーズの大活躍で残留が決まった。ただ、契約更改では「残してやった」というスタンスの球団に対し、宮本は自分こそが日本一の功労者と強気で年俸の大幅アップを要求したらしい。

『今週の話題』では、東映を引退した松岡雅俊のショートインタビューがある。当時の選手契約の一つの例として紹介しよう。

 松岡はプロ入団時、球団ではなく、東映本社に入社。出向社員として選手となった。今回は6年やって会社に戻る形になるのだが、月給は東映への同期入社と同じく2万円になるらしい。松岡は他球団でのプレーを希望し、その際は東映を退職になって二度と戻れなくなるという。

 南海・鶴岡一人監督の手記『南海ホークスとともに』は3回目。タイトルは「賭け屋との戦い」である。終戦直後、兼任監督となったばかりのときの話だ。

 当時、特に関西では野球賭博が盛んで、賭け屋が選手を買収し、八百長をさせることもよくあった。鶴岡は八百長をするのが投手、センター、セカンドが多いと聞き、自らのポジションをサードから一塁にし、選手を観察することにしたという。

 さらに警察とも連携し、怪しい選手は婦人警官らに尾行してもらい、徹底的に調べ上げた。そのうえでやった前科がある選手だけでなく、賭け屋との接触があり、陰でやっているか、今後やりそうな選手もすべて解雇したという。

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 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM