チャンスを生かして打ちまくる



81年、見事に才能が開花して高打率をマークした篠塚

 1981年2月3日、新人・原辰徳の二塁転向を発表した後、巨人・牧野茂コーチは「不公平はないが、不平等はある」と語った。前年、ようやく二塁の定位置をつかんだ7年目の篠塚利夫(現・和典)は、牧野の言葉を「多少、結果が出なくても、将来のために我慢して原を使っていく」という意味だと受け取った。「自分はその程度の評価なのか」と思うと、やりきれない気持ちがしたが、王貞治助監督の「いつかお前の出番は来る。くさったら終わりだ。その日のために準備しておけ」という言葉を信じ、後ろ向きにならず日々の練習に打ち込んだ。

 開幕のセカンドはやはり原。4月は守備固めか代打出場が続いた。転機は5月4日だった。試合中、左肩を痛めた中畑清の代わりに原が三塁へ回り、セカンドのポジションに篠塚が入った。そこからチャンスを生かし、打ちまくる。9日には三番に抜てきされ、5打数4安打4打点。自身一軍初の猛打賞でもあった。

 この日から篠塚の名は一度もスタメンから外れることなく、中畑復帰後もセカンドの座はキープ。バットもますます冴え、阪神・藤田平との熾烈な首位打者争いを展開した。最後の10試合で42打数20安打と追い上げたが打率.357に終わり、1厘差で藤田に届かなかった。

写真=BBM