試合時間は1時間19分



史上初の完全試合を達成した巨人・藤本

 モノクロの写真しか残っていないような時代のプロ野球には、血だらけだったり二日酔いだったりと、万全な体調ではない状態での快挙、という逸話は多く残されている。プロ野球で最初の完全試合も、そんなひとつだ。ただ、この歴史的な快挙には、写真すら残されていない。

 1950年6月28日。主役は巨人の藤本英雄、舞台は巨人が本拠地を置くから遠く離れた青森市営球場だった。巨人は北海道までの遠征からの帰路。当時は現在のように飛行機でピュッと帰るというわけにはいかない。もちろん青函トンネルもなく、そこに新幹線はおろか鉄道が走っているはずもないから、巨人ナインは青函連絡船に揺られていた。一方の報道陣は、カメラマンは全員、札幌での試合が終わると帰京。どういうルートで彼らが東京へと戻ったのかは定かではないが、どうあれ青森の試合にカメラマンが1人もいなかったことは事実だ。

 函館から青森までの航路は、現在でも4時間ほどはかかる。当時は、さらに長い時間が必要だったはずだ。船上、藤本は明け方まで麻雀をしていたという。魔が差したわけではない。青森での登板の予定がなかったのだ。だが、先発の予定だった多田文久三が腹痛で登板を回避。試合開始は16時14分で、急遽、青森のマウンドを踏んだ藤本は、「睡眠不足で調子はよくなかった」という。それでも、「いきなり先頭打者にボール3球。そこから気持ちを切り替えて三振に。四球でもいいやと思ったら完全試合はなかったんだから不思議なものです。その後も、バックに何度も助けてもらった」と振り返る。

 ただ、藤本をフォローしたのは巨人ナインばかりではなかった。プロ野球で初めてスライダーを使いこなしたことでも知られる藤本。また、青森市営球場は、海に面していると言っていいほど、すぐそばに海がある。津軽海峡から平館海峡、陸奥湾、青森湾を経て球場に吹き込んだ風が、フラフラの藤本が投じる魔球に、さらなる変化を与えたという。


青森市営球場には完全試合の快挙を伝える石碑がある

 近年は一軍の公式戦が開催されることもなくなった球場の傍らには、この快挙を語り継ぐ碑が静かにたたずんでいる。

文=犬企画マンホール 写真=BBM