ヤクルトの左腕エース、石井一久がポスティングシステムを利用してドジャースに移籍してメジャー・デビューしたのは2002年4月6日。開幕から5試合目に本拠地、ドジャー・スタジアムで行われたロッキーズ戦だった。

初勝利に胸を張った監督



ドジャース時代の石井

 3回までは1人の走者も許さない。4回には四球と安打で一死一、三塁のピンチを迎えたが、四番のトッド・ヘルトンと五番のトッド・ジールを連続三振に仕留めてピンチを切り抜ける。1点を先制してもらった直後の5回は1安打を許すも無失点。3対0のリードで迎えた6回には一死後に連続四球と中飛で一死二、三塁となったところでジョバンニ・カラーラにバトンタッチし、後続を断った。

 ドジャースは9対2で快勝。石井は5回2/3を投げて2安打、無失点、10奪三振で勝利投手になった。現役時代に大洋でプレーした経験のあるジム・トレーシー監督は記者たちを前にこう言った「どうだ。これが石井一久だ」。

 実は、オープン戦ではヤンキースの若手に3本塁打を浴びるなど散々だった。開幕前最後の登板となったマリナーズ戦では2回1/3で8四死球、5失点と大荒れだった。これには各メディアは「石井は大丈夫なのか」と、実力を危ぶむ声を上げた。そんな批判があっても先発に起用したトレーシー監督は、自身が正しかったと胸を張ったのだった。石井は「(オープン戦とは)集中力が違っていた」と語っていた。

 快調なスタートを切って4月は5勝0敗。ナ・リーグの月間最優秀新人に選出された。デビューから6連勝とするなど、6月8日のオリオールズ戦で10勝(1敗)に到達した。前半戦だけで11勝とするが、後半戦は下降線をたどる。四球を出して球数がかさみ、痛打を浴びた。

 9月8日の本拠地でのアストロズ戦。4回にブライアン・ハンターの強烈なライナーを頭部に受け、そのまま退場して病院に担ぎ込まれた。当たり所が悪かったら生命にかかわるところだった。

 結局1年目は14勝10敗、防御率4.27で終了。与四球106は両リーグを通じて最多だった。石井はドジャース3年、メッツ1年の計4年間。39勝34敗、防御率4.44だった。06年には古巣・ヤクルトに戻り、西武に移籍し13年を最後に現役引退している。

「野球はあまり好きではない」など、情熱が感じられないコメントを口にしていたが、いまは楽天のGM兼監督。ヤンキースから復帰した田中将大や大型新人の早川隆久を擁し、指揮官として勝負の舞台に立つ。

『週刊ベースボール』2021年4月12日号(3月31日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images