「長引かせるつもりはなかった」が……



引退直後の1987年、指揮官となったロッテ・有藤監督

 手ぶらで軽い荷物を持つのは苦ではないが、両手と両足がふさがった状態で同じ荷物を持つと、とたんにうっとうしく感じるものだ。9分間。この時間が長いか短いか、感じ方は時と場合によるだろう。1988年10月19日、川崎球場でダブルヘッダーを戦っていたロッテと近鉄。このときの“9分間”は、ロッテのナインには一瞬のようなものだったかもしれない。一方、近鉄ナインにとっては、これほどまでに長い9分間はなかったはずだ。

 このダブルヘッダーは近鉄にとって優勝が懸かった最後の2試合。当時は西武の黄金時代で、連勝さえすれば首位の西武を追い落とし、近鉄の優勝が決まる。ただ当時、ダブルヘッダー第1試合は延長戦なし、第2試合は開始から4時間を過ぎて新しいイニングに入らないという規定があった。近鉄ナインにとっては時間も敵だったのだ。近鉄は第1試合、引退を決めて試合に臨んでいた梨田昌孝が9回表二死、まさに起死回生の適時打を放って辛勝。だが、第2試合は9回表が終わった時点で同点のままだった。


二塁のクロスプレーをめぐって抗議する有藤監督

 その裏、ロッテの攻撃で、二塁のクロスプレーをめぐってロッテの有藤道世監督が走塁妨害と抗議。この抗議の時間が9分間だった。わずか9分。だが、同点、そして試合開始から3時間を超える時間が過ぎたタイミングで、延長戦にしか優勝の可能性が残っていない近鉄には、されど9分、だった。「抗議はゲームの流れで当然。長引かせるつもりはなかった」という有藤監督だが、その9回裏を無失点で終えながらも、球場は有藤監督へのヤジが飛び交う殺伐とした雰囲気に。続く延長10回表は無得点、その裏が始まった時点で試合開始から3時間57分が経過しており、事実上、優勝の可能性が消えた近鉄にとっては、結果的には致命的ともいえる9分間だった。

 急遽テレビ朝日が予定を変更して中継するなど、社会現象にもなった試合。10回裏、ロッテのナインだけでなく、試合を見守った日本中のファンにとっても、希望のない守備に散った近鉄ナインにとっても、残された3分間は一瞬だったはずだ。試合は引き分け。試合時間は4時間12分だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM