5月31日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第2弾、1960年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。


『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1960年編表紙

2戦目のあと、電話で口論に


 大洋が4勝0敗で日本シリーズを制し、三原脩監督の采配がマジックと言われ、日本中を沸かせた。

 一方、下馬評では圧倒的有利と言われたパの覇者・大毎は0勝4敗。リーグ優勝の喜びから一気に奈落の底に突き落とされる。

 一番落ち込んだのは、日本シリーズを前に浮かれまくっていた大毎・永田雅一オーナーだろう。

 2連敗スタートのあと、永田オーナーは記者たちに、「負けたことはとやかく言わん。あの8回表、満塁のチャンスに谷本にバントさせるとは何事だ。お客さんはみんなミサイル打線を見に来ているんだ。あのバントを見て恥ずかしかった。みんな負けるにもしても、もっと大毎らしく負けてほしいんだ」と顔を真っ赤にしてまくしたてた。

 2対3で迎えた8回表のことだ。一死満塁で大毎・谷本稔がスクイズをするも、打球に回転がかかって捕手の土井淳に戻る形となり、ゲッツー。試合もそのまま敗れた。

 翌日はゲームがなく、同じ関東開催で移動の必要もないので、その夜、大毎・西本幸雄監督は後援者とコーチ何人かと赤坂で会食した。すると、家から「永田さんから電話があって、すぐ電話せいと」と連絡があった。

 西本が電話をすると、「今日の作戦はなんだ。困るじゃないか」と、試合後、記者たちの前でまくしたてたのと同じようなことを言った。

 西本監督は、「最悪の結果にはなりましたが、調子の悪い谷本は打たせても秋山の落ちる球で併殺の可能性が高く、併殺よりはスクイズを選んだんです」と説明。

 しかし、「いやそんなことはやってみなければ分からんことだよ。これはやっぱり、君に問題があるな。だいたい評論家も、みんなお前は間違っていると言っている」。

 これに西本監督が「お言葉を返すようですが、チーム事情は私が一番分かってるのと違いますか。だいたい第三者や評論家は結果を見てうんぬんしているだけじゃないですか。そんな結果論を取り上げて言ってもらっても困りますよ」と言い返した。

 ここで永田の声が震えた。「何を言うか。君はわしにたてをつこうと言うのか。負けた責任は全部君にあるんだ。事実だよ、これは万人は認めるところだ」「そうですか。そんなことで責任をうんぬんされるのなら、私は辞めさせてもらいます」

 すぐさま永田オーナーが「バカヤロー!」と怒鳴る。

 西本監督が「バカヤローというその言葉を取り消していただきたい」と返すと、永田オーナーは電話をガチャンと切った。(続く)