【神田駿河台発】龍名館お茶の水本店の車寄せのそばに、一本の槐(えんじゅ)の木がある。そして、その槐のそばには「万緑の槐、百年の店守る」という句が書かれた説明板があった。それによると、この槐の木は関東大震災の際に焼け焦げたものの、間もなく新芽をつけてよみがえったものだそうだ。先の句は、三代目当主浜田隆夫人の孝子さんによるもの。この木のような強い生命力で、龍名館も発展させていきたいという思いが込められている。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●“子どもおやじ”の洞察力がリスク回避に結びつく


 浜田さんは世代で言えば龍名館の四代目になるわけですが、幼少時はどんなお子さんだったのでしょうか。
 子どもの頃は、旅館の従業員と一緒に賄いを食べたり遊んでもらったりと、大人の中で育ちました。旅館の風呂に入ったり、友達を連れてきて大広間で遊んだりしましたが、兄がおり、将来、旅館を継ぐつもりもなかったことから、プレッシャーもなくのんびりしていましたね。
 大人の中で育つと、周りの子どもたちより、ませてしまうのではありませんか。
 おっしゃるとおりです。小さな頃から大人の表情を読む“子どもおやじ”のようなところがありました。例えば、小学校1年生のとき、給食を全部食べないと放課後まで残す先生がいました。あるとき、イカの丸焼きが出てきて、それを私は食べられなかったのです。でも、そんなことで放課後まで残すような教師はその程度の人物だと思い、そのイカをポケットに隠し、何食わぬ顔で「食べました」と。このときは、何の罪悪感もありませんでしたね。
 小学校1年生にして、人を見抜いていたわけですね。その直感というか洞察力は、その後、生かされましたか。
 銀行時代、営業成績がよかったとお話ししましたが、その仕事の中で生かされたと思います。
 当時、銀行ではそろばんが必須でしたが、私は大学時代、そろばんなどやったことがありませんでした。入行してみると、隣の席にいる商業高校出の女子行員がすごいスピードで計算しており、私は何もできませんでした。
 けれども、計算の正確性はもちろん大事ですが、銀行では人をいかに管理するか、お客さんとどう付き合うかというノウハウがより重要だと感じていました。
 そこで“子どもおやじ”の洞察力が生きたと。
 融資の申し込みがあった際、まずは先方に行ってお話をうかがうわけですが、そこで匂いを感じるわけです。つまり、このお客さんにお金を貸してもいいかどうか、危ないお客さんか否かが、私にはすぐわかったんです。勘が鋭かったとも言えますね。
 幼い頃から身についた直感が、ビジネスのリスクマネジメントにつながったわけですね。

●旧態依然とした旅館経営から 一歩一歩、近代的なビジネスへ


 お父さまが体調を崩されたことを機に、浜田さんは銀行勤務から旅館経営に転じられたわけですが、龍名館に戻られたとき、どんな印象を持たれましたか。
 自分が育った場所とはいえ、旧態依然とした旅館だなと思いました。私が戻ったとき、従業員は全員私より年上で、何も言うことを聞いてくれませんでした。「これをやってくれ」と頼むと「このままでいいんです」と返ってくるような具合です。
 近代的な銀行とのギャップは大きかったのでしょうね。
 私は経理・財務を任されていたので、給与支払いの仕事もやっていたのですが、当時はまだ現金の手渡しでした。当然、1円単位で支給するため、金種ごとに硬貨の枚数を計算して銀行からおろしてくるなどとても手間がかかるので、銀行振り込みにしようとすると、従業員の多くはとても嫌がりました。なぜかというと、当時はまだ、奥さんに給料を手渡しするのが主人の役目だという考え方が強かったんですね。
 ありがたみが違うと(笑)。
 そうですね。そんな事情でなかなか同意が得られず、振り込みにするまで何年かかかりました。
 そういうご苦労もあったのですね。ところで、昨今はどの業界でもDXへの対応が課題となっていますが、龍名館ではどのように取り組んでおられるのでしょうか。
 2009年におこなった八重洲のホテル龍名館東京の建て替えを機に、宿泊予約システムを構築しました。それまでの予約管理は紙ベースで行っていたのですが、これでようやく全店共通でのデジタル化ができました。
 今後もさらにDXへの投資が求められそうですね。
 私はどちらかと言うとアナログなので(笑)、デジタルに強い専務(裕章氏)と息子(佑介取締役)にその検討は任せています。
 昨今のコロナ禍はこの業界にも大きな影響を与えていますが、浜田さんはどのように対処されていますか。
 このお茶の水本店については、全9室と小規模でインバウンドのお客様がほとんどだったため、当面の間、休業させていただいています。ただ、自然減はあっても人員整理は行いませんでした。コロナ禍でも、いかに稼働率を上げていくかが今後の課題ですね。
 ちなみに、コロナ前の外国人客の割合はどのくらいでしたか。
 お茶の水本店が9割、八重洲と新橋が7割程度ですね。ネットなどを通じた評判は高く、リピーターも多かったんです。
 それは大打撃ですね。
 はい。でも、龍名館は120年以上の歴史の中で、何度もピンチに見舞われました。
 大正12年(1923年)の関東大震災では本店をはじめ3店すべてが焼失しましたし、昭和48年(1973年)からの本社ビル建替工事の際には、オイルショックの影響で、突然、融資が下りない状況に陥ったのです。でも、当時の社長である祖父そして父が奔走し、龍名館のことを信頼していただいたお客様の力もあって、その窮地を脱することができました。
 そうした苦難を経験してきたからこそ、さらに歴史を重ねていけるということですね。
 今回のコロナ禍は、私ども宿泊業界に暗黒の時代をもたらし、まだ明確な復活の道筋も見えません。でも、なんとかなると思うんです。
 これまでは唐突な政府の感染防止策に翻弄される部分もありましたが、自らがこうした事態への対応策を構築すべきことも学びました。悲観ばかりしていても仕方ありません。
 そういえば、浜田さんはずっと温顔でいらっしゃいますね。
 わけもなく上機嫌を心がけているんです(笑)。しかめっ面をしていても、どうにもなりませんから。
 まだまだ大変なことはあるでしょうが、一日も早い全面復活をお祈りしております。

●こぼれ話


 今さらだが、2020年は東京オリンピックが開催される年であった。競技の開催地はもちろんのこと、世界から来日する選手、観客、観光客の“おもてなし”を国中が心待ちにした。日本中が、新年を迎えるような気持ちで大掛かりなインフラや受け入れ施設、街の店舗に至るまで設備を新たにした。そこにコロナの直撃である。もうこのあたりで勘弁してほしいと思うが、今年で3年目に入る。当初の半信半疑から覚悟へ、そして諦めからコロナとの長期共生に似た対応社会への脱皮へ。これが概ね世界中の経営者の心境変化ではないか。言い換えるとオリンピック規模でのコロナ禍だ。ホテル、旅館、民宿といった宿泊施設の方々は入念な準備で臨んだはずだ。浜田さんもこうした心境変化の過程を経て、これからの脱皮の模索をしておられる。
 「売り上げですか? 半年間、ゼロでしたよ」。このたびの苦境は、過去の話ではなく現在も継続しているという緊張感と疲労感が伝わる。その場での表情から読み取れた。ではどのように脱皮するのか、と質問する気にはなれなかった。これまで『千人回峰』のインタビュアーとしておよそ300人の方々に、質問を投げかけてきた。長期にわたる対談経験と、私の「人とは何ぞや」という意(おもい)からの問いかけに、こんな質問もあるのか、といった表情をする方も多い。が、今回は私のBCNの経営者としての顔というか、浜田さんと同じ経営環境に身を置く立場として、さらに言えば、人が「三密にならざるを得ない事業」の未来を考えている経営者の方に向けて、その質問はできなかった。「自分自身にその解のヒントはあるのか」と自問するばかりである。
 インターネットのインフラ内で事業が完結する企業体と、人の三密を伴う事業では、経営者の考えどころが異なる。そうはいっても、先を急ぐと、事業構造の近未来は双方を備えた企業が生き残るのではないかとの仮説を立てている。昼と夜、寒と暖、アナログとデジタル。両翼で物事のおさまりを考えることが多い私は、浜田さんのひと言に飛びついた。次世代の若い経営者は「デジタルが好き」でこれから何を考えるのか任せている。もう一人はホテル業の基本である「おもてなし」の修行を積んでいる――という言葉だ。
 生き残るにはいくつかの要素が求められる。人と共存できること。自然と共存できることだ。アナログとデジタルでは、後発のデジタルが注目されている。新しくて未開拓要素が多いからである。時折、Amazonモデルについて考察する。これこそが情報のデジタルと配達のアナログの両翼を装備した完成像である。さて、ホテル業ではどのような事業構造が生まれるのか楽しみである。人の移動手段に関しては早期に解決策が生まれるであろう。課題は“巣ごもり”気分をいかに払拭するかだ、と考える。こうした時にこそ苦境をいくつも乗り越えてきた老舗・龍名館の遺伝子に期待したい。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。