「こんなにおいしいあんずが、どうして出回っていないんだろう?と思って」
たかはし農園の髙橋直美(たかはし なおみ)さんは、初めて生のあんずを食べたとき、その甘さに驚き、そして疑問に思いました。

福山市田尻町は「あんずの里」として知られる町。春には田尻町一帯にピンク色のあんずの花が咲き誇り、「田尻あんずまつり」が開かれます。
完熟したあんずの糖度は18度で、メロンやブルーベリーよりも甘くなります。しかし、出荷されるあんずはほとんどなく、あんずを食べたことがある人は少数でした。

あんずのおいしさを知ってほしいと、髙橋さんは仕事を持ちながら二足のわらじを履いて、あんずの栽培をはじめました。

たかはし農園のあんず

5月のあんず
5月のあんず

秋に葉を落としたあんずの木は、桜よりも少し前に可憐(かれん)な花を咲かせます。花の後に葉が開き、5月に青い実がぐんぐんと大きくなって、6月にはオレンジ色に熟します。
みかんの場合はおよそ3か月にわたって収穫できますが、あんずが収穫できるのは1週間。しかも実が傷み(いたみ)やすいため、2日で売り物にならなくなってしまいます。

あんずの収穫

髙橋さんが現在管理しているあんずは30本。そのおよそ半分が「幸福丸(こうふくまる)」という、生で食べるのに適した品種です。
6月はじめの畑にお邪魔すると、あんずの木にはネットが張られていました。完熟するとコロリと木から落ちてしまうあんずの実を無駄にしないためです。

ネットを張ったあんず

あんずの収穫は、基本的に一つひとつ手摘みです。
手にとったときに枝からすぐに外れれば、完熟のしるし。まだ外れない実はそのまま枝に残して完熟を待ちます。

あんずを手で摘む

「今日みたいに天気が良い日は、午前中にはまだ熟していなかった実が、午後には完熟することもあるんですよ。それほど収穫期は、時間との勝負です。

けれども私は仕事があるので、農作業に充てられる時間は限られます。ですからこうしてネットを張って、落ちてしまう実をキャッチするんです。この実は加工用に冷凍します」

と高橋さん。

収穫したあんず

完熟したあんずのつややかで美しいこと!

「たとえば、りんごだと枝と実をつなぐ果梗(かこう)が長くて、枝と実の間に距離があるのですが、あんずの果梗は短くて、枝が実に当たって傷ができやすいんですね。傷がついた実も加工用にします」。

短いあんずの果梗
短いあんずの果梗
「りんごだとこういう長い果梗が」と左のあんずで説明する高橋さん。右のあんずの傷は、枝に当たってついたもの
「りんごだとこういう長い果梗が」と左のあんずで説明する高橋さん。右のあんずの傷は、枝に当たってついたもの
ネットに落ちたあんず

ネットはあんずをしっかりと受け止めていました。

ネットのあんずを回収

忙しい収穫期には、お友達が手伝いに駆けつけてくれています。二人は、リズミカルにあんずを回収していました。

収穫したあんず

あんずの香りは完熟した梅を思わせますが、梅よりもさらに甘く豊かなように感じました。

ネットを張り直す

収穫後、ネットを張り直し、あんずを軽トラックに積んで、作業できる場所へと移動しました。

軽トラック

畑からは海が見えます。

あんず

収穫したあんずは、1つ50〜80gでした。

あんずの食べ方

あんずは皮ごと食べても大丈夫とのこと。

割ったあんず

1周くるりと切り目を入れてひねると、簡単に割れました。中まで鮮やかなオレンジ色です。切り口から香りがぱあっと立ち上がります。

「食べてみて」
すすめられるまま一口かじって、思わず「うわっ」と声が出ました。
甘さと爽やかな酸味。みずみずしさ。ぷっつりと弾ける皮。柔らかいけれども歯ごたえのある果肉。
これがあんずなのか。背中にぴっと電流が走ったようでした。

髙橋さんは言いました。
「『幸福丸』って名前に納得するくらい、食べると幸せな気持ちになるでしょう?それなのに、こんなにおいしいあんずが市場に出回っていないなんて、どうして?と思ったんですよ」。

あんずの商品

収穫したあんずのうち、傷がなく形も整ったものだけを選んでパックに詰めます。

あんずのパック詰め
パックに詰まったあんず

「うん!美人さん揃い!」と満足そうな髙橋さん。

ラベルをはる

ていねいにラベルを貼り付けて、できあがりです。

天満屋用あんず

収穫期でさえ1日に数パックしかできない貴重なA級品の田尻あんずは、天満屋福山店に納めています。
不揃いのあんずはふくふく市へ。傷のあるものやネットに落ちたものは加工用に。

あんずジャムとあんずゼリー 温かみのあるイラストは田尻町在住のアーティスト、田中美紀さんの手によるもの
あんずジャムとあんずゼリー 温かみのあるイラストは田尻町在住のアーティスト、田中美紀さんの手によるもの

冷凍したあんずは、ジャムやゼリーなどに生まれ変わります。
ジャム作りを託しているのは、オンニマーマレードの内田久美子(うちだ くみこ)さん。

内田さんはあんずの繊維が残らないよう、ていねいに濾して滑らかな口当たりのジャムに仕上げています。甘みと酸味のバランスが取れたその味は、生のあんずにも負けない鮮烈な印象です。

あんずジャム

パックに入ったゼリーは、つるりと口の中に入ってきます。パックのまま冷やしたり凍らせたりして、外遊びに持って行くのも良さそうですね。

あんずゼリー

あんずのシロップ漬けは、2024年の新商品です。

あんずシロップ漬け

甘いあんずだけでなく、ぜひシロップも味わってください。酸味が効いているので、そのままでも炭酸などで割っても爽やかです。シロップ漬けは、ふくふく市とイベントのみで販売しています。

あんずとの出会い

あんず畑 2024年5月撮影
あんず畑 2024年5月撮影

髙橋さんがあんず栽培を始めたのは、2021年の春です。
それ以前の髙橋さんは、会社で経理の仕事をしながら、10年以上にわたって30坪ほどの家庭菜園を楽しんでいました。

しかし、あるとき耕作放棄地が増えていることに気がつきます。

「耕作放棄地を見て、何か私にもできることがあるのではないかと思って、農業を学ぶことにしたんです。2018年に福山市の園芸センターが実施している『農業担い手研修』の研修生になり、1年間、毎週水曜日に野菜の作り方を教わりました」

教わってわかったのは、会社の仕事もしながら野菜を栽培するのは、簡単ではないということでした。家庭菜園の規模ならできた野菜も、本格的に栽培するとなると毎日手をかけなければできません。

「果実なら私でも時間を調整しながらできるかもしれないと、2019年と2020年は果樹の研修を受けました。ふくやま農業女性の会にも入って、農家のかたたちから情報を得るようにもなったんです」
この農業女性の会との出会いが、髙橋さんを田尻とあんずに導きました。

2024年5月撮影
2024年5月撮影

あんずジャムの加工の研修に参加した髙橋さんは、田尻の景色と田尻の人たちの温かさにすっかり惚れ込みます。あんずを食べて、そのおいしさに驚いたのもこのときでした。

私は福山生まれ福山育ちなのに、それまであんずを食べたことがなかったんです。あんずがこんなにおいしいのなら、栽培にチャレンジしてみたいと思いました」

女性会の会長の尽力で、田尻町のあんず畑を借りることができました。
3年間の担い手研修を終えた2021年4月、髙橋さんは「たかはし農園」を立ち上げて歩みはじめたのです。

あんずの栽培

枝を下に引っ張っている

2021年4月に借りた畑のあんずは、6月に収穫期を迎えました。

「この年は、ものすごい豊作でね。300kgのあんずが採れたんです。始めてすぐの収穫だし、どこに売っていいのかもわからないし、もう大変でした」

そのとき、農家さんからJA福山の直売所であるふくふく市ならスムーズに手続きできることを教わって、30kgを納めました。
「けれども、あんずは収穫が始まったら1週間が限界です。すぐに完熟して木からポトポトと落ちるし、過熟してしまうとすぐ傷むし」

残りは冷凍し、加工品作りの研究に回しました。

枝を下に引っ張っている

あんずの木は自然に育つと、上へ上へと枝を伸ばします。高く伸びた枝の実を収穫しにくいうえ、収穫期が短くて足が早いあんずは、商品化が非常に難しい果物でした。

そこで、髙橋さんは木を剪定(せんてい)し、枝を下に引っ張って手の届く範囲に実がつくように樹形を整えました。

「そんなふうに一生懸命やっていると、いろいろな人が何しとるんー?って声をかけてくれるんです。こうしたいんだけどやり方がわからない、と言うと、やり方を教えてくれたり道具を持ってきて作業を手伝ってくれたり」

慣れないあんず栽培に奮闘する髙橋さんを、田尻の人たちが支えてくれました。

もう一人のあんず栽培者、小林章宏さん

あんずの葉

田尻町には、髙橋さんと同じタイミングであんずの栽培をはじめた人がいます。田尻杏屋の小林章宏(こばやし あきひろ)さんです。

小林さんがおもに作っている品種は加工に適した「広島大杏(ひろしまおおあんず)」。また、できるだけ農薬を使わずに、自然栽培に近い方法であんずを育てています。

海外展開を視野に入れた小林さんは、「アプリコットジャム」という名前にもこだわります。

髙橋さんと小林さんは、良いライバルとしてお互いを尊重しながら、あんず栽培に取り組んでいるのです。

たかはし農園のみかん

みかん畑

たかはし農園が手掛けているのは、あんずだけではありません。

「田尻にはみかん農家も多かったのですが、高齢化で徐々に減っているんですね。
ここのみかんはおいしいからといわれ、みかん栽培も始めました。最初は20本ほどでしたが、今では80本になっています。田尻のみかんは、ほどよい甘さと酸味があって味が濃いのが特徴です」
品種は「宮川早生(みやがわわせ)」や「いしじ」などです。

2024年5月 まだ青く小さいみかん
2024年5月 まだ青く小さいみかん

田尻のみかんにスポットライトを当てようと、髙橋さんは「田尻産みかん」のラベルを作りました。3年目になり、少しずつ知名度が上がってきています。

2024年は冷凍みかんの加工にも力を入れています。ふくふく市などに出品するほか、イベントでの販売も大好評です。

2024年5月26日 山野町のおやまのいろどり春市にて 「冷凍みかん」のイラストは髙橋さんの手描き
2024年5月26日 山野町のおやまのいろどり春市にて 「冷凍みかん」のイラストは髙橋さんの手描き
冷凍みかん
髙橋さん手作りのみかんの風鈴が、ちりんと心地よい音を立てる
髙橋さん手作りのみかんの風鈴が、ちりんと心地よい音を立てる

スライスして乾燥機にかけたみかんチップスも人気が高く、昨シーズン作った分はあっという間に完売となりました。次のシーズンは、より多くのみかんチップスを作る予定です。

画像提供:たかはし農園
画像提供:たかはし農園

今後の展開

田尻の人たちから「こっちの畑も任せたい」と声がかかり、髙橋さんの畑は少しずつ広がっています。
2021年4月に125平方メートルで始まったあんず畑の他に、2023年3月、900平方メートルの畑が加わりました。

「今は、耕作放棄されていた700平方メートルの畑を開拓している途中です。ここを整えたら、自分で育てたあんずの苗を植える予定です」

育苗中のあんず

種から大切に3年間育てた苗に幸福丸の枝を接ぎ木して作った若いあんずの苗は、新しい畑に根を下ろす日を楽しみに待っているかのように、さやさやと風に揺れていました。

育苗中のあんず
育苗中のあんず

「2023年には東京にあるひろしまブランドショップTAU(たう)でも取り扱ってもらえるようになりましたし、天満屋さんに納品できるようになったことで、おいしさを理解してもらいやすくもなりました。

学校給食に使ってもらうことも目標です。子どもたちにも、田尻のあんずとみかんのおいしさを知ってもらいたいんです」

おやまのいろどり春市

農業経営をするうえで髙橋さんの強みになっているのが、会社での経験です。

「毎日が手探りですが、農業には大きな魅力があると思います。農業経営を成り立たせるためは、B品を活用してあんずジャムや冷凍みかんなどに加工する6次産業化がカギです。次の世代に引き継げる農業にしたいですね」

田尻あんずと田尻みかんの未来を見つめて

左:オンニマーマレード・内田さん 右:髙橋さん
左:オンニマーマレード・内田さん 右:髙橋さん

多くの人と協力して、あんずとみかんを栽培し、加工している髙橋さん。

「みかんなら『食べてみて』って差し出せばすぐに食べてもらえますが、あんずはまだ食べたことがない人がほとんどで、味の説明からする必要があります。
おいしいのに、知名度が低い。だから、もっと宣伝しないといけないなと思っています」

田尻のあんずとみかんのおいしさを知ってもらうため、今日も髙橋さんは畑に向かいます。

著者:山口 ちゆき