(ブルームバーグ): 日本銀行の黒田東彦総裁の在任期間が今月の29日で3116日となり、法王と呼ばれた一万田尚登氏(第18代総裁、1946年6月〜1954年12月)を抜いて歴代最長となる。実験的な金融緩和策は物価押し上げにほとんど効果がなかったが、日本経済のデフレ状況を転換させ、金融市場の安定に手腕を発揮した。     第31代総裁に就任した2013年3月、当時の米連邦準備制度理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長はテーパリング(資産買い入れの縮小)に頭を悩ませ、欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁は「できることは何でもやる」と宣言し、ユーロ防衛に力を注いでいた。マーク・カーニー氏はイングランド銀行(英中央銀行)の総裁就任を数カ月後に控えていた。

  当時の中央銀行首脳たちはすでにいないが、黒田氏は8年半後の今も金融政策の最前線に立っている。

  就任直後には2年程度で2%の物価安定目標を実現すると高らかに宣言し、大規模な量的・質的金融緩和政策(QQE)を打ち出した。実験の失敗とともに量の効果を重視する理想主義者から、金融政策運営のバランスに配慮する現実主義者へと転換した。

  現行のイールドカーブ・コントロール(YCC)政策は、黒田氏の現実路線の象徴だ。長期金利を操作目標とする異例の緩和策であり、長めの金利が低下し過ぎる弊害を抑制する狙いもある。9月には導入から5年が経過した。低成長、低インフレ、低金利が常態化する「日本化」への懸念が欧米でも強まる中、FRBやECBが関心を示し、オーストラリア準備銀行(中央銀行)では実際に採用されている。

  無謀な資産買い入れを続け、超低金利を長期化させているとの批判もある。金融政策の財政政策への従属化が進み、金融市場がゆがんだ上、金融機関の経営が圧迫された。財政再建や金融緩和からの出口は、より一層、困難なものになっている。   それでも、近く決まる菅義偉首相に代わる新たな日本のリーダーは、黒田氏の手腕に頼らざるを得ないだろう。

  在任期間が最長となる29日は、自民党の総裁選挙の投開票日に当たる。4人の候補者の経済・金融政策に対する考えには違いがあるものの、誰が首相になっても、新型コロナウイルス感染症の影響が長引く中で、日銀を揺さぶって市場を混乱させるリスクを冒すことはできない。

  現行の大規模緩和が当面は継続することは間違いない。副作用にも目配りしつつ、気候変動など新たな領域への対応も求められる複雑なかじ取りは、新政権でも経済・市場安定の重要な要素となる。

   国際通貨基金(IMF)の元チーフエコノミスト、オリビエ・ブランシャール氏は、黒田氏について「需要と成長を維持するために、新たな対応を含め、あらゆる手段を駆使してきた」とし、「インフレの回復には十分ではなかったが、日銀ができる最大限のことをやってきた」と評価する。    黒田氏が長期政権を実現できた理由の一つは、大規模な刺激策が政治家や投資家を満足させるのに十分な効果を発揮したことが挙げられる。上場投資信託(ETF)などリスク性資産を含む大規模な資産買い入れと超低金利を通じ、過度な円高と株安の是正、企業収益と雇用の拡大、政府の借り入れコストの抑制を支えてきた。   安倍晋三前首相の経済政策であるアベノミクスが成功したとの印象を国民に与え、安倍氏のポリティカル・キャピタル(政治的資本)の確保に貢献した。時間の経過とともに過度な金融緩和の弊害も広く認識されることになり、黒田総裁以前の日銀関係者が感じていた政治圧力からも解放された。

  一方、金融緩和が先導してきたアベノミクスは格差の拡大をもたらしたとし、自民党総裁選でも複数の候補者が軌道修正の必要性を主張している。岸田文雄前政調会長は中間層の拡大に向けた所得引き上げを訴え、河野太郎行政改革担当相も個人をより重視する経済を目指す考えを示す。   日銀元理事の門間一夫みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミストは、黒田緩和の成果について「2013年に世の中の雰囲気を変えることに成功したという意味で、スタートラインは評価できる。しかし、その後は特にプラスの得点はない」と指摘。2012年末から6年間続いたアベノミクス景気の実質成長率は平均で1.2%にとどまり、「大した実体経済への影響は無かった」と分析している。

  レジームチェンジを印象付けた大規模緩和は、当初こそ市場心理の好転に成果を挙げたものの、物価目標を一度も実現できないまま高揚感はしぼんだ。「黒田バズーカ」とも比喩された国債の大量購入ではインフレを加速できないと悟った黒田日銀は、16年1月にマイナス金利政策の導入で市場の混乱を招いた後にYCC政策に移行し、金融緩和の持続性を重視する持久戦に入った。     金融政策の誘導目標の量から金利への回帰とともに、日銀は大規模緩和から静かに撤退している。

  新型コロナのパンデミック(世界的大流行)が世界経済に大きな影響を与えた20年でも日銀の長期国債の保有額は22兆4000億円の増加となり、量的目標時に設定されていた年間80兆円の増加ペースの4分の1にとどまる。今年のETF購入は累計で7300億円程度となっており、市場が急変しない限り、黒田体制の下では最少の買い入れ額となる可能性が高い。

  肝心の物価動向は、経済活動の再開とともに米欧ではインフレ懸念が台頭しているが、日本の消費者物価(除く生鮮食品)は依然としてマイナス圏にある。黒田総裁が任期満了となる23年4月にも2%は見通せず、目標達成は困難だ。   大和証券の岩下真理チーフマーケットエコノミストは、最長在任期間は祝うようなことではないとし、「黒田総裁は何度もルビコン川を渡った。これだけ大規模な金融緩和の後始末は、携わった人たちが在任中にしていくべきではないか」と述べている。 

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