お話を聞いた⼈杉山文野(すぎやま・ふみの)

1981年東京都新宿区生まれ。NPO法人東京レインボープライド共同代表理事。フェンシング女子元日本代表。早稲田大学大学院でジェンダー論を研究し、卒業後は海外約50か国と南極をバックパッカーとして巡る。帰国後、約3年間企業に勤めたのち独立。飲食店経営のかたわら、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、そしてセクシュアル・マイノリティを包括する意味を持つ「クイア」の略称)のアクティビストとして、啓発活動に力を注いでいる。

ぶつかり、向き合って、家族ができていく

――14年ぶりに、自身のことを書いた理由を教えてください。

 2006年に発表した『ダブルハッピネス』(講談社)は、生まれてから25歳ぐらいまでの僕が、セクシュアル・マイノリティとしてどう家族と向き合い、仲間と乗り越えてきたかを書きました。同じ大学の先輩である乙武洋匡さんに「本を書いてみたら?」と言われたのがきっかけだったので、その後の反響については、全く考えていなかったんです。

 でも想像していた以上の反響があり、「次の本はいつ出るの?」と聞かれるようになって。「そんなに簡単に書けないよ」と返していました。しかし、10年以上経つと思うことや、やってきたことが積み重なり、もうすぐ40歳を迎えるし、彼女の妊娠もわかったので、区切りとしてこれまでのことを1冊にまとめたいなと。そうすることでLGBTQに限らず、様々な社会課題を乗り越えるヒントのようなものをみなさんと共有できないかという思いがあったんです。

――パートナーの母親には、交際をずっと反対されていたそうですね。

 彼女との付き合いを6年近く反対されていましたが、「我が子に幸せになって欲しいから」で、全く悪気はなかったんです。LGBTQ当事者がハッピーに生きている未来が見えないから、その周辺にいる親も自分の子どもの幸せな未来を描けない。でもハッピーに生きている当事者がいることが見えるようになれば社会も変わると思うし、社会が変わることで人々の理解が変わっていくはず。そう思って諦めなかったことで、交際を認めてもらいました。

――そのパートナーとの間に、子どもが生まれました。

 日本でも知られていないだけで、セクシュアル・マイノリティでも子育てをしている人は既にたくさんいるんですよ。パートナーの次に子どもを求めるのは、自然な流れだと思うんです。でも「親のことで、子どもがいじめられたらどうしよう」って不安から、オープンにできない方のほうが多いのが現実です。

 既にLGBTQで子育てしている人をないことにはできないし、セクシュアル・マイノリティでなくても血のつながりのない子供を育てているカップルも、たくさんいるはずです。実際、子どもが生まれてから「血のつながりのある子どもじゃなきゃいけないという思い込みから苦しんできたけれど、こういう選択肢もあるのか。文野さんたちのことを知って、気持ちが楽になりました」というメッセージをいただいたりしています。

――ゲイ・アクティビストの松中権さんが精子提供者で、親が3人いるんですね。

 子育てはきれいごとではないので、3人でぶつかることはあります。でもそれは2人でもあることだし、親として初めての経験をともにする中では、当たり前に起きることです。そういう経験も含めて向き合うことで、家族ってできていくものだと思うんですよ。

2015年3月31日、東京都渋谷区議会で通称「同性パートナーシップ条例」が成立したのを祝い、横断幕を掲げる杉山文野さん(左から2人目)ら=吉野太一郎撮影

声をあげれば社会は変わるはず

――2010年代はLGBTQを取り巻く環境が激変した時代でした。2015年3月に渋谷区で『渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例』 (同性パートナーシップ条例)が可決されて以降、全国で同様の制度が相次いで制定されています。

 LGBTQを取り巻く状況は、2015年をきっかけに大きく変わりました。僕個人としても『ダブルハッピネス』の頃は「自分はトランスジェンダーの代表なんてできないし、ましてやLGBTQの代表なんて」って思っていました。なぜなら多様性の中にも色々な多様性があるし、LGBTQにもいろいろな人がいるから。

 でも渋谷区の条例を制定する際の検討委員会に、唯一の当事者として参加したことで「自分のことしかわかりません」というスタンスでの発言は、無責任だと思うようになって。そこから腹をくくったことで、「僕は」から「僕たちは」に意識が変わっていきました。だから今回の本では、社会的な存在としての自分に視点を移す過程を、プライベートも含めて書くことにしたんです。

――杉山さんが共同代表理事をつとめる「東京レインボープライド」(TRP)の存在も大きかったのでは?

 TRPはパレードが全てではないですが、数字だけで言えば2012年は参加者が約5000人だったのが、2019年には20万人を超えました。7年で40倍に増えたというのは、成功と言える部分も大きいと思います。闇雲にやってきたわけではなく、戦略的なアプローチを考えて進めてきました。

2019年4月28日、「東京レインボープライド」でパレードする杉山文野さん(左)ら=迫和義撮影

――マイノリティ当事者も、人によって思いは千差万別なので、そんな中で発言するのは、勇気が要ることだったと思います。

 その思いしかないです。でも、大変な分、やりがいがあると今は思っています。多様な人たちの多様な意見って、多様過ぎてまとまらない(笑)。少数派の意見を大事にと言っているのだから、多数決では決められない。そんな中でいろいろな人と対話を続けてきたし、僕だけではなく様々な人の活動が積み重なった結果、1+1が掛け算のような広がりになったのだと自負しています。

――渋谷区の長谷部健区長とは、元々友人だったそうですね。以前長谷部区長に条例について取材した際、「文野の存在が大きかった」と言っていました。

 条例を作ろうとしていた頃はまだ区長ではなくて、長谷部さんは「仲間が困ってるから、できることをやってみよう」というスタンスでした。僕としても政治家ではなく、飲み仲間の良き兄貴みたいな存在だったので、社会的なインパクトはあまり考えていませんでした。

 当時はパートナーの彼女と色々あった時期で、プライベートはボロボロだったし、LGBTQ当事者から「おまえたちの活動のせいで自分が変に見られたらどうしてくれるんだ」とか、いろいろ批判されることも多くて。「自分のパートナーとも大変なのに、他人のパートナーシップなんてやってる場合じゃないよ……」と、正直言えばそんな気持ちもありましたが、結果として「声をあげれば社会って変わるんだ」という、成功体験のひとつになりました。当事者の多くは声をあげることにも疲れて諦めてしまいがちですが、諦めないことの大切さを、僕自身が学ばせてもらった大きな転機でした。

「知らなかった」ではもう済まされない

――一方で国会議員が「LGBTは生産性がない」と寄稿したり、区議会議員が「LGBTばかりになると足立区が滅ぶ」と発言したりと、時代に逆行する動きもありました。

 足立区議のあの方も79歳、知らないまま来てしまって、悪気はなかったのかもしれません。でも現代ではLGBTQについては、「知らなかった」では済まされないほど情報が豊富になりました。LGBTQの非当事者が、当事者の思いを自分ごとにするのは無理かもしれません。しかし学ぼうという謙虚な姿勢こそ、多様化する社会の中で何より求められるものではないでしょうか。

――これは極端な例とは言え、悪気なく軽い気持ちで言ったことが当事者を深く傷つけてしまう可能性は、誰にでもあります。非当事者はどんなことを心がければ、皆がハッピーになるでしょうか?

 非当事者がLGBTQ当事者と接する中で失敗することはよくあると思いますが、失敗ってそのままで終わらせると失敗のままだけど、100回失敗しても101回目に成功するとそれは「経験」に変わります。だから失敗をしてはいけない、ではなくて、失敗したら直そう、そのための対話を続けようということが大事なことだと思います。

――子どもの未来に望むことを、教えてください。

 よく「お子さんにどういう人になってほしいですか」と聞かれますが、「こうなって欲しい」というものはない代わりに、何かをしたいと思った時に妨げになるようなものは、取り除いてあげたいと思っています。

 「日本人だから」「女の子だから」「親がトランスジェンダーだから」制限がかかることがないように、次世代のためにできることをしっかりやる。それが自分自身のためにもなるし、ひいては社会のためになる。自分のハッピーと、社会のハッピーが比例するようなことに関わるのが、今後のテーマです。

――2020年のTRPはコロナ禍により、オンライン開催になりました。2021年は、どんなイベントにしたいですか?

 今、うんうんうなりながら考えています(笑)。コロナ禍で先が見えない中、イベントを作ること自体が新たなチャレンジだし、昨年のパレード中止の決断は、最初は「こんなに辛い決断があるのか」と胃がキリキリしていました。でも結果的に、これまで参加できなかった地方の人に楽しんでもらえるなど、新たな可能性が広がりました。だから2021年はオフラインとオンラインをハイブリッドにつないでいくことが、新たな課題ですね。ひとりでも多くのみなさんにお楽しみいただけるよう、しっかりと準備をしていきたいと思います。