青木野枝 水冠9

 今世紀初めから、世界規模のディストピア文学の興隆が続いている。背景には各国の右傾化や全体主義への危惧があり、トランプ政権誕生でブームが爆発した。理想郷の地下にある暗部を描くディストピアは、国民の生殖や子育てへの介入、知とリテラシーの抑制、文化芸術の弾圧というあたりが管理の三原則だが、近年、支配の描き方が変化している。独裁者は人の命の与奪にあずかるところに絶対的強権がある。しかし老・病・死を遠ざける医療が発達し、臓器移植や人工知能などの技術進歩が加速するいま、人の「生死」の輪郭や解釈がより複雑で曖昧(あいまい)になっているからだ。そこに文学が芽吹く。

 社会の理想と暗部の狭間(はざま)で苦しむのはいつも小さき者だ。最近、「こども庁」創設に向け、「『こども・若者』輝く未来創造本部」が設置された。以前も「すべての女性が輝く社会づくり本部」が登場したが、政策名に「輝く」がつくとディストピア風に見えるのはなぜか。

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 上半期きっての注目作、佐藤究の『テスカトリポカ』(KADOKAWA)は古代王国アステカの神話を下絵に、無戸籍児童を狙う「心臓移植ビジネス」を中核に据えたノワール小説の傑作だ。その背後には、国際的な「麻薬資本主義」の地下組織がある。

 麻薬やアステカなどの設定から、チリの巨匠ロベルト・ボラーニョの暗黒世界を彷彿(ほうふつ)させるが、舞台はメキシコ北東部の街から、ジャカルタ、川崎へと移り、麻薬密売の親玉、野望を抱く闇医者、天涯孤独の怪力の少年、表向きは虐待児童を救うNPO〈かがやくこども〉の職員、地下に匿(かくま)われる児童などの姿を群像劇として描きだす。

 奸者(かんじゃ)たちは病児をもつ富裕層を相手に、臓器の密売網を拡(ひろ)げ、富める者だけが命を永らえる。顧客たちは、貧しいドナーの魂がわが子の中で「継続」するという「物語」に囚(とら)われる。カズオ・イシグロの『クララとお日さま』で、病弱な少女の両親が願った生の「継続」も、科学的根拠よりそうした「物語」に依(よ)るものだった。先端技術が更新するのは、私たちの生のストーリーなのだ。

 ボラーニョと同じエラルデ小説賞を受けたアンドレス・バルバ『きらめく共和国』(宇野和美訳、東京創元社)は、見た目は爽やかな青春小説だが、私が濃厚に想起したのは、感化院の少年らが疫禍の山村に閉じ込められ置き去りにされる、大江健三郎『芽むしり仔(こ)撃ち』である。

 中南米らしき町で、どこからともなく現れ、不可解な言語を話す32人の子ら。ものを盗み、人を襲う彼らは、町から排斥され、地下に閉ざされた自由王国を築く。終盤で地底世界に出現する、きらめく「祭り」に総毛立った。彼らは難民とも孤児とも書かれないが、「理解不能なものに対する、どうしようもない軽蔑」と、人びとの異物への不寛容が暴きだされる。いまなお、メキシコと米国の国境周辺に取り残されている子ども移民らを連想させた。

 27年も同じ大統領の独裁が続く国は“ディストピアの催眠下”にあるのか。ベラルーシのサーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』(奈倉有里訳、集英社)は、そう問いかける。若者たちが犠牲となった地下道の事故で、少年が昏睡(こんすい)に陥り、10年後、病院で奇跡的に目覚めるが、時の流れを信じられない。「だって大統領の肖像画も同じじゃないか」というくだりに鋭利なアイロニーを感じた。ここでもおとなは子どもを食い物にする。奇跡の覚醒を映画化して儲(もう)けようと考える義父、原発事故被災者の若者を転地療養させるビジネス。改憲を強硬に進めようとする独裁国家の暗部を伝える渾身(こんしん)作だ。

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 日本の新鋭作家の描くディストピアも凄(すさ)まじい。金子薫「道化むさぼる揚羽(あげは)の夢の」(新潮5月号)では、地下工場で、機械工たちを「蛹(さなぎ)」として鉄器に封じこめ、「羽化」させる過程が反復される。この理不尽な支配を打ち破るのが、道化の笑いだ。手練(てだ)れの道化師ではない。不慣れで、懸命に努力する新米トリックスターの哀れを描き、虚構純度の高い過去作とは違う、人の汗や体温を感じさせる新境地に達した。

 カルト教団もディストピア機構の代表だろう。湯浅真尋の「導くひと」(群像5月号)は、某真理教の元信者と、子ども時代を森のコミューンで過ごした男の出会いを描く。信心とは洗脳の牢なのか、篤信と狂信の境は。入れ子構造を折々に反転させる語りが固定観念を揺さぶる。デビュー作からの大脱皮だ。=朝日新聞2021年4月28日掲載