作家・片岡義男さんの小説には、「自分は小説を書く」と言い始める人がしばしば現れる。8短編を収めた新刊『いつも来る女の人』(左右社)でもそう。「書く」人々の物語を繰り返し書き続けるのはなぜなのだろうか。

 「小説って面白いんですよ。もう一つの現実を作るということですから。小説という現実を作る人は、その人自体が面白いはずなんですね」

 冒頭に置かれた一編は書名がカナになった「イツモクルオンナノヒト」。私鉄沿線、インド人がコーヒーをサーブする喫茶店で、しきりに小説を書くと言っていたのに書いていない男性を前に、翻訳家の女性が自分が書くことを決意する。

 日常でしばしば耳にする言葉を、すうっとタイトルにするのは片岡流。これもその一つで、「よくある言い回しを片仮名にしたら、そうしゃべる人を作らなければならない。そこで外国人の青年を作る。青年はなぜ、その言葉を発するのか。そこからはストーリーが一気にできました」

 日常から地続きに物語が始まるのも片岡流。「黒いニットのタイ」の書き出しはこうだ。

 五月一日、金曜日、午後八時過ぎ、靖国通りからひとつだけ北側に入った、神田神保町一丁目にあるそのバーは、すでに混んでいた――。

 「出だしはね、現実の景色が一番いいんです。わかりやすいし、一番ふつうでしょ。ストーリーってふつうじゃないから、書き出しはふつうに持ってくる」

 8作のなかの3編は、「小説を書く」と言い始める20代半ばの男性が主人公。ちょうど片岡さんがフリーライターとして多忙を極めていた時期で、小説は30歳を過ぎて初めて書いた。

 「日々の現実はただ生きているだけですから。続いていくのは確かですけど、少しずつ下降していく。私の場合は先輩から、小説を書かなければダメになると強く言われて書き始めた。あとはそれを続けてきただけです」

 話を聞いていると息を吸うように小説が生まれているように思える。これまで書いた短編は500作を超え、いまなお執筆ペースは衰えない。できたそばから自らのウェブサイトに掲載し、書籍になっていない短編がまだまだ控えている。

 「どう小説が生まれるのか、わからなくてずっと書いているだけ。むしろ、どう生まれるのか教えてください。その通りに書きますから」

 当の本人は、煙(けむ)に巻くようにほほえんだ。(野波健祐)=朝日新聞2021年7月28日掲載