ダブル・ダブルスター

共犯者

ばにらさま

 「家族の絆」という言葉が、麗しきものとして使われているのを見聞きするたびに、その絆に縛られ、文字通り身動きが取れなくなっている人も少なくないのでは、と考えてしまう。

 穂高明『ダブル・ダブルスター』は、息子の私立中学受験当日に倒れ、緊急入院したことをきっかけに、突然別居を余儀なくされた母親・真知子を主人公にした長編作だ。

 四十歳を過ぎて浴槽もない六畳一間のアパート暮(ぐら)し。市役所の臨時職員として淡々とこなす仕事。同じ日本語で話しているのに言葉の通じない夫。義母は宗教にのめりこみ、中学一年になった息子の怜はやがて不登校になる。

 しかしこの「いかにも」じみた展開を抗(あらが)い難い不幸な物語として描くわけではないのが穂高明の真骨頂。真知子は声を荒(あら)げることもせず、辛抱強く粘り強く自分にとって大切なものを見極め進むべく道を模索していく。分かり合えない夫と対峙(たいじ)し〈これから私は、この人にひどいことを言う〉場面が心に残る。自覚はある。痛みも後悔もある。それでも言わずにはいられないことがある。読後、ゆっくりと理解が深まっていくタイトルも秀逸だ。

 家族なのだから隠し事などしてはいけない、秘密などあり得ない、という考えがある反面、現実には家族だからこそ踏み込めない物事もある。三羽省吾『共犯者』は、週刊誌記者の主人公が、ある殺人死体遺棄事件の真相を追う過程で、思いがけず家族の関与を疑うことになるサスペンスミステリー。

 主人公だけでなく、事件の容疑者と関係があるのではないかと疑われる弟にも、加害者と目される人物にも、遺体を執拗(しつよう)に損壊された被害者にも、意味合いの異なる「家族の絆」があり、それぞれの強度と尺度の違いが読ませる。言えないこと、言わないこと。見ていたもの、見えなかったもの。二転三転し最後の最後に露(あらわ)になる事実をどう受け止めるべきなのか。鈍い痛みが伴う、愛の形を問う物語ともいえる。

 六話が収められた山本文緒『ばにらさま』もまた、読みながら「家族」や「日常」という言葉の苦味が沁(し)みてくる。恋人、夫婦、親子、友人。描かれている関係性が角度を変えて見た瞬間、がらりと変容する仕掛けも見事だが、スパッと切り落とされたような各話の幕切れが潔い。置いていかれたような、それでいて寄り添われているような、寂しいのか、温かいのかわからなくて泣きたくなる。

 「菓子苑」の主人公・舞子が、自分は他のものを排除してしまうような恋愛ではなく〈人間関係が欲しかった〉と語る、その何気(なにげ)ない切実さ。山本文緒の苦味は、他にないうま味だ。=朝日新聞2021年9月22日掲載